2013年3月24日日曜日

牡丹 三島由紀夫

  草田の言ったことの真偽は疑問が残るが、最後にあっという毒をもってある手腕がすごい。人殺し、怨念、復讐、欺き、裏切りのような毒は物語を面白くするワサビのようなものなのであろう。毒で話をくくれば、毒が読者の体内に毒々しく入る。真似る価値のある終わり方だ。

草田のセリフ「大佐が楽しみながら、手づから念入りに殺したのは580人にすぎなかった。しかも君、それがみんな女だよ」は読者(特に男性)の想像力をかきたてる文であるが、580という数字をきちんと覚えている方が頭がおかしいのであって、これも現実味がない。

明と暗の切り替わりをうまく使っている。明では「子供たちが(略)シャツのはみだした小さなズボンのお尻を並べている」や「この洗いたての白さは妙にエロティックだね」など。暗は後半で牡丹の描写場面に現れている。例えば「重たい影を落とし」「孤独に見え」「沈鬱に感じられた」「気味の悪い生々しさ」などで、うまく最後の毒へ持っていく伏線としてある。

復讐 三島由紀夫

 近藤虎雄の秘密を読者に隠しておいて、話の最後に暴露し、読者のテンションを一気に落とすが、治子の言葉「電報なんてあてになりませんわ。きっとあの電報は、生きている玄武が打たせたんです」で、読者の不安を以前以上に煽るという展開はうまい。

 視点にかんしては、導入部から次第に近藤家の内部に入り込み、5人の登場人物の性格を食卓の会話でうまく描写している。最初の部分にある「金属的な神経質な響き帯びて、わざと陽気にしている…」のセリフで読者は釣り上げられる。また八重の言葉「警察に洗いざらひ話せばどんなに虎雄さんの恥になるかも知れないし」によって読者は謎に入り込む。計算づくの展開だ。

 しかし、よく考えると、話が現実味を欠いている。こんなことはありえないが、文章のうまさと展開の妙で読者はまんまと引っかかってしまう。実際、これは変な話だ。だいたい玄武は近藤の家を知っていて、8年間も殺しに来ないということはありえない。山口清一の目を盗んで真夜中とかにいくらでも近藤家に来ることはできるからだ。

 だから、冷静に考えれば、失敗作だ。