2022年12月22日木曜日

Don't Look Now Daphne du Maurier

 I am a fan of Daphne du Maurie. Her books such as "Jamaica Inn" and "Rebecca" are fascinating. Both were made into movies. I saw them. 

Her English is not complicated or not elaborate like Dickens. Simple and easy. The most attractive factor of her story is mystery. "Don' Look Now" makes the reader turn the pages by giving intriguing mysteries one after another.

Mysterious occurences are everywhere: John sees Laura and the myserious sisters on board the boat; the blind sister predicts mysterious consequences; the murder;  and the child (a dwarf).

The ending where John dies is not balanced with the page-turning enthusiasm. However, this is an excellent story. I enjoyed it very much.

鴨川ランナー グレゴリー・ケズナジャット Gregory Khezrnejat

 第二回京都文学賞受賞作。感心するのは作者の日本語の堪能さである。初めて日本に来たのは日本語の「あいうえお」の「あ」の字も分からない16歳のとき。受賞したのは37歳だから、20年で日本語で小説を書き、文学賞を受賞するに至った。

小説には余りない二人称小説で話が展開していく。日本語を覚えていくうちに、日本のことや日本文化が次第にわかるようになり、当初の夢(看板や本や掲示の日本語が分かりたい)が実現していく過程が描かれている。中学校の英語の助手になり、決まりきった英語表現を鸚鵡の様に繰り返して発音するのが嫌になり、民間の英語会話教室の先生になる。英語助手時代にそういう助手が集まる飲み屋で憂さ晴らしをするが、そこを避けるようになる。ひょんなことからある大学の教授に遭遇して、法政大学の准教授となる。この経歴を小説にしたから、小説というより、日本語習得格闘記と言っていいい。これが受賞するのは奇異。

著者は2017年、同志社大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期修了。並の日本人より日本語語は詳しい。谷崎潤一郎の研究家らしい。

2022年12月18日日曜日

眩 朝井まかて

葛飾北斎の娘、お栄こと応為の話。主に渓斎英泉との付き合いと甥の時太郎の悪党ぶりに苦労する話。浮世絵や肉筆画その物についての記述は少ない。あったとしても深みがない。単に絵をどう描こうかその算段についての記述になっている。例えば「三曲合奏図」にしても女に何を着せ、どう配置して、楽器をどう持たせるかを描くときに、絵そのものを筆でなぞっただけ。絵そのものを描く意欲が書き足らない。

「富嶽三十六景」から「吉原格子先之図」まで、章立てのタイトルになっているが、節ではその絵についての記述は余り詳しくない。単に、章立てのタイトル映えを狙ったか。タイトルが大袈裟すぎる。

小布施に行っているのだから、岩松院の「鳳凰図天井画」についての記述が余りにも少ない。

良かった点はお栄の気風の良さ。最終節で老いた自分との対話と、行く末を暗示したところは良い。情景描写(特に江戸時代の事物について詳しく調べてある)と心理描写が巧い。

感動がない。

2022年11月27日日曜日

落花狼藉 朝井まかて

吉原を創った甚左衛門の妻・花仍かよが吉原の遊女屋の女将として吉原を築いていく話。

若菜太夫を育て上げ、若菜の赤子を育て、赤子が成長して二代目の女将、鈴になる。花仍は引退して、大女将になり、甚左衛門、使用人清五郎、遣手婆のトラ婆も他界し、吉原は新しい世代と交替する。花仍の曾孫が生まれ、花仍も死んでいく。

花仍の半生を描いた。

江戸幕府との遣り取り、江戸の火災、吉原の引っ越し、歌舞伎者や湯屋との確執、吉原の同業者との駆け引きや、その他もろもろのエピソードを織り交ぜて展開していく。どのように吉原が発展していったか、その影の苦労が分かるように描かれている。

花魁の衣装、客のあしらい方、同衾、遊女屋の中の様子、花魁道中の様、女衒、遊女の親の金の無心。磔、花魁言葉、江戸時代の時代背景など詳しく調べ、作品化している。文章もうまい。

吉原ができていくに従って、花仍が年を取っていく様が描かれている。吉原の完成がこの本の眼目ではなく、花仍がどう生きたかを描くのが眼目。

大きな問題が最後に解決するというドラマでなく、エピソードごとのドラマ形式。

花仍の人生、いろいろあったなぁという印象。寄せ集めのエピソード集で、感動はしなかった。

花魁言葉

そう願いいす。わっちが帰ってくるまで。分りいしたか。禿が「あい」と応える。おおせになりいしたね。届きいすよ。仕方ないことでありいすよ。男でありいしょうか。尋常でありいすね。できいせんか。「ます」が「いす」に替わる。

女衒が連れてきた娘の身形、丈の短い単衣、肘から先や膝下が剥き出し。娘の値段、三両から五両

  

2022年8月7日日曜日

羅城門に啼く 松下隆一

 京都文学賞受賞作ということで読んだ。受賞しただけの読ませる力がある。

オレが主人公の一人称小説。そのため主人公を取り巻く状況描写が制限され、またオレの文筆力のレベルに合わせたのか、文章が稚拙。軽いタッチの文が多く重みがない。

展開は巧い。極悪人のオレは悪行を重ねるが、空也上人に会い、なみあむだぶつを唱える殊勝な男に変わる。上人の生き方や信ずるところが描かれているが、今一つ足らない。オレはある娘の両親を殺しており、後にその娘と穴倉で暮らすようになる。最後の場面で親殺しがばれるが、娘の出産を助け、赤子を無事取り出す。が、母は死ぬ。

ドラマチックな構成だが、作為的な匂いがプンプンする。わざとそう言う状況を設定したということが見えてしまう。

若いころの悪行が天罰となったような因果応報型エンディング。すとんと落ちるような感動がない。

2022年8月2日火曜日

金閣寺 三島由紀夫

  金閣寺を放火した学僧が放火に至るまでのの心の動きを微細に記した一人称小説。

 学僧の心理を描くのにこれ以上難解な表現はないというぐらい難解な文章が連なっている。あたかも、読者を寄せ付けないような書き方である。三島さえよければ読者は置いてきぼりでもよいというような強引な文章表現である。

 特に、柏木という学僧との対話は理解しにくい。柏木が何を言っているのか、それを放火僧はどう解釈しているのかが、きちんと呑み込めない。あまりにも哲学的である。

 最終段階で金閣寺の美についての三島論も、論理的、哲学的、抽象的、数学的に述べられている。漱清の役割も、もってつけくわえた理窟「漱清をつたわってふたたび池の上へ、無限の官能のたゆたいの中へ、その故郷へと、遁れ去ってゆくほかはなかったのだ」と描写している。単なる魚釣りのための出っ張りを、なぜこうも分かりにくく描写するのか。

 なぜ放火僧が放火するに至ったのかは解らない。柏木の論理に犯されたのか、老僧に対する憎しみのためか、自らが吃であるからか。女と交わるときに金閣寺の画像が頭に入り込んで行為を遮断するという展開も分からない。

 評論家は難解ゆえに高く評価するであろう。

 放火僧に感情移入ができない。すとんと心に落ちない。生殺しの作だ。水上勉の「金閣炎上」の方が、金閣を燃やすに至った学僧の心理状態を克明に無理なく描いており、納得できる。水上の作の方が三島のより格段に良い。三島は題材をひねくり回しすぎだ。

2022年7月19日火曜日

塞王の楯(采王の楯)今村翔吾(しょうご)

 552ページもある大作。さすが直木賞を取っただけある。特に、穴太衆の頭・飛田匡介(とびたきょうすけ)と国友衆の頭・国友彦九郎との対決が読みごたえがある。石垣を組む職人と鉄砲を造る職人との対決である。

最後の大津城での攻防はすごい迫力があり、読者をどんどん引き込んでいく。天守閣に大筒の弾が当たらないように高さ8メートル、幅30メートルの石垣を造り、ひっきりなしに飛んでくる弾の合間を縫って、崩れた石垣を命を張って修復する場面は圧巻である。

石垣の切り出し方、運搬法、積み方が詳細に述べられ、臨場感がある。石積職人の棟梁はあのように(甲の一、乙の二、丙の三など)石を瞬間的に見てどこにどう積むかわかるのだろうか。石垣に要石というものが存在するのだろうか。

玲次との関係がはっきりしないが、その他は文句ない出来で、久しぶりにいい作品を読んだ。

ちなみに今村氏は1984年生まれ、角川春樹小説賞、吉川英治文学賞、山田風太郎賞その他を受賞している。


2022年7月14日木曜日

Significant Moments in the Life of My Mother by Margaret Atwood

 Mixture of the writer's remembrance of her young days and her present thoughts about them. The anecdotes are funnly but her philosophy behind them are difficult to understand. However, on the whole she mingled them well. Her mother enjoys talking about her daughter nonchalantly, but the daughter does not always enjoys it. Rather she feel ashamed hearing them. Her world and her mother's world are quite different. Mother clinges on her past while the daughter loves to analize each anecdote

This is a collection of her anecdotes and her comments about them. As a whole I did not enjoy the story. 

2022年7月12日火曜日

泰緬鉄道からの生還 アルバート・モートン

第二次世界大戦勃発時、シンガガッポーるが陥落し英国兵が多数捕虜になった。そのうちの一人、アルバートモートン氏による日記である。

日記は1942年11月4日から1945年12月29日まで書かれている。

最初のページ

「我々は午前八時45分にセレラン地区を出発、(略)それぞれの貨車に31人ずつ乗せられ、横になる場所もないほど家畜のように詰め込まれた。午後二時にクアラルンプールに到着した。」

捕虜収容所での生活は鉄道を敷く作業であるが、何度も繰り返されるのは、体調のこと(マラリア、赤痢、下痢、腹痛)、食べるものが豚の餌みたいに粗末であること、英国捕虜たちの下品な、不誠実な怠惰な行動、オランダ人やオーストラリア人なども捕虜で敵対関係にあったこと、いつもイギリスに残してきた家族(母、妻、息子)のことなど、

最終ページ

イギリスの南部海岸、サウスハンプトンに係留したときの日記。

「しかし、夢にまで見たロンドンの通りや行き交う人々、これらすべてを現実として見られるのはなんと素晴らしいことか。ありがたい。無事に帰国できたこと、そして愛する者たちが無事でいてくれたことを髪に感謝する。

人生何が幸せか。明日にでも夢が実現することを体中がわくわくして待ち望んでいる状態ではないか。

全訳の労を取ってくださった薄墨百合子さん始め皆様に感謝。


2022年4月27日水曜日

"The Black Cat" & "Tall-tale Heart" by Edgar Allan Poe

"The Black Cat" and "Tall-tale Heart"  

Both stories resemble with each other. Both begin with the satement that the narrator is not mad; Both kill a woman (or an old man); conceal the corpus in a wall (or under the planks). The policemen come and investigate the room throughly and think that the narrator is not the criminal; but at the very last moment, the narrator reveals that he himself is the criminal by knocking the wall (or saying, "Tear up the planks!").  

Both stories develop well, increase tention skillfully driving the reader to turn the pages one after another till the end. They are both horrible, cruel, and full of suspense. The reader is instantaneously abosorbed in the story and cannot stop reading. 

They are self-destruction stories.

2022年4月23日土曜日

炯眼に候  木下昌輝

 織田信長にまつわる7編の短編集。一話が80ページぐらいか。どの話も奇想天外で面白く造られている(信長の首が力士の腹に隠されていた。鉄甲船が沈められ、その上に別の鉄甲船を乗せる。天気を確実に予言する男を家来にする。鉄砲の弾が信長がつけていた十字架にあたる、など)。しかし、よく考えればどれも現実離れして、何か変だ。子供だましのような感じさえする。突飛すぎるからだが、これが売りであり、同時に瑕である。したがって、どれもフィクションの匂いがプンプンして作意の跡があちこちにみられる。工夫に工夫を重ねて作られたが、こね回して作ったことが見え見え。人工的でなく、もう少し自然体で描けないのか。木下氏は「オール読物新人賞」受賞者。「宇喜田の捨て嫁」を読みたい。


2022年4月22日金曜日

金閣炎上 水上勉

 ノンフィクション形式の小説。水上氏が事細かに最大限調べつくして金閣寺を燃やした養賢のことを著している。氏の執念を感ずる。

金閣寺を燃やした養賢は極悪犯のような扱いだが、この本を読むと、いかに哀れな青年(当時21歳)であったがが分かる。以下「金閣炎上」から抜粋。

久恒秀治氏(金閣寺庭園修理担当の発言)「……切羽詰まった彼(養賢)の心情が理解できる。(略)文化財を抱えた京都の寺院が『金閣炎上』をただの犯罪として見ないで、少年(養賢)が犯罪を犯してまで乱打した仏教界への警鐘を謙虚に受け取ってもらいたい。観光、観光と、ただそれのみに明け暮れする京都の寺院は、声の無い少年の抗議に深く心耳を傾け、慚愧し、宗教機関としての本来の面目を取り戻し、道場としての姿勢に立ち戻ることを願うのみである」p. 264

金閣寺住職・慈海和尚は当時の金で年間500円もの収益があった。現在の貨幣価値にすると五千万から一億円ほどか(松岡の感想)。

養徳寺住職・大量師(金閣寺が焼ける前夜、養賢と囲碁を打っていた)「わしはただ、あの子(養賢)が死にたかった気持ちが……いま透けるようにわかるんですよ」

水上「というと、それは金閣寺への反感からですか」

大量師「勿論、あの和尚(慈海)では反感がありましょう。ケチン坊で、自分は仕出し屋から肴を取って酒を呑んでおって、小僧ら(養賢たち)には小遣い銭もろくにわたさん人でしたから、反感は当然でしょう。(略)それと、養賢の場合は、やっぱり成生(なりう:若狭湾の半島にある地名)の西徳寺和尚(養賢父)とおっ母さんとがうまくゆかなんんだ、ちっちゃい時のごたごたもあって、その上、どもりという障害ももっておったということと、重要なことは不治の肺結核がすすんどった、あの病気でお父さんの死ぬのを見ておりますでな……それが大きな理由ですよ。誰からもぜぜりいわれて阿呆にされて育ち、金閣寺へ行って、大学に入っても差別されれば生きようがなかった。また田舎にも戻りようがなかった……心身ともにゆきづまった時期で、あの子は死にたくなって火をつけたんですよ。(略)かわいそうな子でしたよ」p. 308




    


2022年3月23日水曜日

Crooner by Kazuo Ishiguro

 Janeck(protagonist) helps Mr. Gardner to sing on a gondola below his wife's window as a memorial present for her, accompanied by Janeck's guitar. After singing, Mr. Gardner confesses their divorce. He was an old man, passed his day, but Mrs. Gardner is still young and may go upwards steps. His glorious days are remembered by Janeck's mother, a fan of Mr. Gardner.

A light touched short story. Too elaborate. It is obvious that it was a made-up story. Before they sails to the window, Mr. Gardner tells about his wife. That was too long. The story should be much more concise. Not exciting. I was not able to identify with Janeck.  NO moving story. Not entertaining.

2022年3月17日木曜日

装束ゑの木 出崎哲弥

 101回オール読物新人賞受賞作だけあってか、話が二転三転して思わぬ展開になり、読者を裏切り、裏切り最後まで引っ張っていく力作。

ミステリー的な要素もあり、読者を楽しませる。文章もこなれている。

難点

①狐狗狸(こくり)様占いが出来すぎ。三本の割り箸の上に盆を置いて「カタ」とか言う音が巧く出るだろうか。足を掛軸のほうに向けるだろうか。

②死なないようにするには1000日の王子神社参りをすることが必要とは、祓い清めにしても長すぎる。二年半も毎日というのはおかしい。

③ぼろ布を王子製紙工場に売るのが魂胆であるが、そんなにうまく話が進むだろうか。


2022年3月6日日曜日

羆嵐 吉村昭

羆の恐ろしさがどろのページからも伝わってきて、読むそばからおそるおそる読んだ。ついに銀四郎が斃したところで、ほっとしたが、区長の「肝は持っていってくれ」の言葉に怒った場面が残っていた。「結」もいい。

区長や村人、六線沢、三毛別の村人、応援に来た200人ぐらいの他所の村人、分署長、警官たちの動きが微に入り細に入り描かれていて、臨場感がある。区長の心理描写もうまく、区長に感情移入した。

吉村氏の取材が徹底していたことが行間から伝わる。

素晴らしいドキュメンタリー。

2022年1月12日水曜日

いっぽん桜 山本一力

 口入れ屋井筒屋の頭取番頭を隠退させられた長兵衛が、魚問屋の木村屋の番頭になるが、魚売りの棒手振りの評判が良くない。というのは、長兵衛がすぐに「うち」ではこうしたんだ、と井筒屋のやり方を持ち出すからだ。ところが、水害のあった日、家が水に浸かって難儀しているところへ、木村屋の棒手振りたちに助けられる。木村屋の主人から、「イカはスルメになったんだ」と言われて考え方を変えたばかりのことであった。水の引いた後、井筒屋の手代が「頭取のお宅は無事でしたか」と声をかけるが、長兵衛は「うちの若い衆が助けに来てくれてね」と答える。ここで終わり。最後の一行が効いている。

長兵衛の心理をうまく描写している。特に新番頭に対するいらだち、千束屋から声をかけられたときの浮ついた気持ち、木村屋に下る情けなさなど。

思わぬ展開になるところがいい。落ちもいい。

2022年1月1日土曜日

少年と犬 馳星周

 久しぶりにほろりとさせられる本を読んだ。読者を感動させるものは何か。それは尊いもの、しかも感情移入してしまっているものが消える、または死ぬことである。

「少年と犬」では、多門という犬が、この作品の約300ページで、充分に読者を引き付け、感情移入させるのに成功している。最後の数ページで多門が第二の主人公、5歳ぐらいか、光を地震の災害から守って死ぬ。

光の言葉「あのね、あの時、ぼく、多門の声が聞こえたんだ。だいじょうぶだよ、光、僕はずっと光と一緒にいるからね、だから、なんにも心配することないんだよって」

読者は、ここでほろりとさせられる。

文章が平易で、改行がやたら多い。その分、空白が多く、読み易くしている。難しいこった表現は皆無。中学生でも充分に楽しめるだろう。

著者は、「少年と犬」を2017年に「オール読物」に載せている。

その他の犬の話「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「老人と犬」は2018年から2020年にかけて書かれている。ということは、最終章「少年と犬」が、最初に書かれ、あとから、多門が日本各地で違う飼い主に飼われる話が書かれたのだ。

馳氏はそれまでの短篇を巧く一つの物語に仕上げた。

短編の寄せ集めであるので、どの短編も似たり寄ったりの話で、途中でマンネリ化しており、またか、という感があった。一本通ったダイナミックな展開がない。