2021年12月21日火曜日

Nocturnes Kazuo Ishiguro

 It is nice that Ishiguro's English is not too difficult. He writes what he wants to write using easy words and easy sentence structures.

"Nocturnes" is a short story in which the protagonist, Steve, is hospitalized for his face-lifting. Fortunately or unfortunately, his next room lies a well known woman, Lindy Gardner, who also has face-surgery.

Kazuo describes the seemingly close friendship between Steve and Lindy. Steve  seems to be manupulated by her while she is hospitalized. She seems to use Steve just to kill time during the boring hospital life.

Lindy says she will help Steve to  be a famous saxophone player, but she doesn't. Immediately after Lindy's husband comes to her hotel, her attitude toward Steve changes; becomes distant.

The scene where Steve and Lindy tries to hide the trophy in the turk is funny. Also funny is the way they escape from the gurdmen's suspision.

What does Ishiguro wanted to say through this novel? It is not so clear. Just an entertainment?

青春戯画集 中島丈博

1981年のNHKの連続テレビ小説20回分の脚本集

張ったりで大胆な画家楳図と、人のいい画家弘継の葛藤を描く。

弘継が楳図のゴーストペインターに知らず知らずのうちになり、そのことが枷になり自分の絵が描けないようになる。楳図も弘継なしでは絵が描けなくなる。

弘継の育ての母親と生みの母親が同居し、弘継に嫁いできた勝子と、二人の画家から好かれる芸妓の染菊の葛藤も入れ込んで、読者をどんどん牽引していく。

楳図の死によって楳図の本心が明かされ、弘継も立ち直っていくところで終。

人間の葛藤が弘継、楳図、勝子、染菊さらに母親のはると八重が重なり合って展開していくプロットは、用意周到に中島は考えたと思われる。

横山大観とか三笠宮とかが登場するが、それはいいのか。

読みごたえがあった。大観の言葉、「経営ができる絵描きとして君(楳図)が必要だ」この時楳図は頂点に達するも、似せ絵に落款を押したことがばれ、一気に地獄に落ちる痛快悲劇。みごとな「転」。

endingも、まあ、あんなとこだろう。

読後感もいい。


2021年12月17日金曜日

疑惑 芥川龍之介

 「疑惑」の主人公が宿泊した家が大垣町の廓町というところと書いてあって、驚いた。わたしの故郷が大垣市の郭町なのである。

中村玄道が主人公を訪れ、濃尾大震災で妻が壊れた家屋の下敷きになり、救出できないうちに火の手が回り「生きたまま焼かれる」のは残酷と思い、玄道は瓦で妻の頭を殴り殺してしまう。

震災後、殺した真の理由は、妻を憎んでいたことに気がつき、殺しの疑惑に苛まれ、最後は気が狂たようになる。

変な箇所

1.大垣の町の「廓」という漢字が違う。正しくは「郭」

2.玄道の小指がないのはどうしてか、書かれていない。思わせぶりな技巧を凝らしたか。

3.妻・小夜が憎いのは肉体的欠陥があったからの部分で「82行省略」と書いてあるが、これは芥川がわざとそう書いた。読者に推測させるためで、いかにも巧く書かれているように見えるが、芥川は逃げていないか。省略せず、全部書かなければ読者は半殺しになり、不満が残こる。芥川は自分としては、巧い仕掛けと思っているかもしれないが、思わせぶりがこの作品の欠陥にもなっている。

4.職員室で梁に押しつぶされた女が、柱が燃えてきた時、梁が軽くなり柱から脱出できた、と聞いて、玄道は動転する。ここがおかしい。助かったかもしれないという思いに愕然とするが、なぜ愕然とするのか。純粋に「生きたまま焼かれる」のを残酷と思って瓦で殺していれば、助かった話を聞いて、愕然とするが、実際はそうではない。主人公が悩むのは、殺そうと思って殺したのだという思いに苛まれるのであって、「助かった」人がいることを知って悩むのはつじつまが合わない。憎いから殺したのだから、小夜が、助かる助からないは関係がない。純粋に憎くて殺した(「焼かれるよりは」、という思いは偽善である)のだから、疑惑もへった糞もない。

もし放置しておいて小夜が運よく脱出したら、玄道はどう思っただろう。小夜が生きていてよかったと思うか、死ななかったのかと落胆するか。落胆でしかない。

5.最後に人間「明日はまた私と同様な狂人にならないものでもございません」という台詞で終わっているが、これは余分。ダメ押しの押しつけがましい。


いのち  瀬戸内寂聴

 99歳で他界した瀬戸内寂聴の描いた小説?というか、交友関係の裏話集。執筆したのは95歳で、その時まで寂聴は癌だったかで一年くらい入退院しており、退院してリハビリに励み、執筆に漕ぎつけた作品。

はじめ、闘病生活を書こうとして執筆し始めたが、途中で止めた。どう見ても「おもしろくない」からである。

書き改めたのが「いのち」で、全部で6章?からなっている。わたしは半分読んで、最終章に飛んだ。主に闘病のことは書かれていなくて、作家・河野多恵子と大庭みな子との交友録。

「群像」に毎月投稿していたもののを集めた。

実名で、亡き友人との交友を赤裸々に描いているが、どうかと思う。寂聴は何でもかんでも「小説」にしてしまっているのかと思った。

95歳にしての健筆ぶりを見習わなければならぬ。

2021年11月18日木曜日

芋粥 今昔物語

 五位という男が「芋粥」を腹いっぱい食べたいと願っていたが、利仁によって、敦賀まで連れて来られて、そこで山のように積まれた芋を見てうんざりし、食べたい気がなくなるが、無理して食べる。

利仁は五位をあざけるために敦賀に連れていったのか、芋粥をご馳走しようとして連れていたのか。???

芥川龍之介の「芋粥」読んだが、中身は今昔と同じ、「鼻」のように最後のひねりもない。ただ、中身を薄く引き伸ばした感じで、創作の跡が見られない。結末は今昔のほうがいい。


北斎と幽霊 国枝四郎

 ネタバレ

北斎の師匠・狩野融川は、描いた絵を、豊後守に「砂子が淡い。描き直せ」と言われ、「描き直すつもりはない」と突っぱね、絵に命を懸けた。北斎は、豊後守を怨んで自刃した師匠の仇を絵筆一本で討つ。北斎の「駕籠幽霊」を見た豊後は卒倒する。

原稿用紙40枚ぐらいの作品。フィクションとはいえ、面白い展開が読者を引き付ける。

「駕籠幽霊」は国枝の虚構だが、ネットを検索しているうちに、浪曲師・酒井雲の「駕籠幽霊」があり、それは、国枝の「北斎と幽霊」の一字一句と、ほぼ同じであった。国枝と酒井は同世代に生きていたから、恐らく酒井が国枝の幽霊話を浪曲にしたのであろう。

ちなみに、酒井雲は村田英雄の師匠


2021年11月3日水曜日

父と暮せば 井上ひさし

 ネタバレ

76ページに

美津江:(略)魚を焼くような臭いのたちこめる中を、昼ごろ、うちに着いた。

竹造: (いたわるように)きれいに焼けとったろう。

美津江:泣き泣きおとったんのお骨を拾いました。

竹造:ほうじゃったな。いやありがとありました。

を読んで、美津江の父親・竹造が死人なのかと不思議に思ったが、あとがきに井上が書いているように、竹造は死人で、美津江の反対の立場をとる美津江を父親として登場させたと書いてあり、納得した。

テーマは、友人、知人、親族が多数原爆で死んだというのに、自分は生きていていいのかとう疑問を読者に投げかけている。このような自責の念は古今東西いくらもあるテーマだ。同じようなテーマを取り上げた新聞投書が先日「中日新聞」にあった。以下は投書内容の骨子。

1945年8月。終戦後、私の兄は神風特攻隊員でしたが帰還して参りました。出撃直前に飛行機のエンジンが故障したため飛ぶことができなかったからです。 帰還した兄は父に長い間許しを請うていました。父は村長で、村の多数の若者を戦地に送り出し、そのうちの大多数の人が帰還しませんでした。父は黙して、兄にひと言も声をかけませんでした。数日後、兄は山に入り、自害用に持っていた手榴弾で自爆しました。 父と兄の胸中には計り知れないものがあったと思います。

2021年10月7日木曜日

喜多川歌麿女絵草紙 藤沢周平

歌麿がどのように美人画を描いたかとか絵を描くときの苦労談は一切なく、もっぱら、美人画のモデルとなった女について書いている。六章あるが、各章ごとに異なる女性を登場させ、その女の美しさに加えて性質、生い立ち、家族などネガティブな面も活写している。女は茶屋の娘、遊女、人妻など多彩。女の他に登場するのが、蔦屋重三郎、式亭馬琴、山東京伝、写楽など、藤沢独自の想像力を駆使して人間関係を描いている。最終章では年を取り絵筆が粗くなっていき、女の秘所を見る所で終わる。

どの章も同じような内容で、女が登場し、その女の絵を描き、女が消える。読者を感動させるような構成はなく、単に、歌麿がどういう生活を送っていたかを描いた淡々とした見せ場のない話ばかり。全編通じて歌麿の視点で書いている。

 

2021年9月29日水曜日

Cellists Kazuo Ishiguro

   This is a very interesting, but irritating short story. 

   A young cellist, Tibor, happened to be praised for his "potential" by a woman who "claims" that she is a gifted maestro. Tibor often goes to her to have cello practice. Strangely, she never demostrates her cello technique, but just verbally instructs him. When he returned from a holiday trip, he finds that her would-be-husband, Peter, was with her. She was going to America with Peter. Tibor departs for a cello job in a hotel in Amsterdam.

Seven years later the narrator finds Tibor had become an ordinary man with bitteness. 

I got angry with Eloise because while he was away from Peter and felt lonely she played with Tibor until she meets Peter. Immediately after she met Peter she said good-bye to Tibor. She might have enjoyed playing around with Tibor. I felt sorry for him. His talent "was ruined," by her.

Ishiguro is skillful because he lures the readers and lets them expect that Tibor and Eloise will have some romantic fruit, till they find no romance but a kind of destruction on the part of Tibor in the end.

2021年9月25日土曜日

宮本武蔵 直木三十五

 直木賞と言う賞の本家本元の直木三十五の小説だが、落胆した。

初め父無二斎と二刀流について議論する場面がある。なかなかの議論の展開であったが、議論が物別れになったとき、無二斎が、立ち去っていく弁之助の背に短刀を投げつける場面がある。これは不自然。それを躱す弁之助もなぜ交わすことができたかが理解できない。次に著者は(勇を頼みすぎる。この上は、少し文事を学ばさぬといかん)と無二斎に言わせているが、なぜ文事を学べば、勇を抑えることができるかの立証してない。また、ここで章が変わるが、次の章では文事の話でなく、道場破りの話になる。

道場破りの話も、読者をハラハラさせるために技とらしく、僧が有馬に「何分、不具になどならぬように、お手柔らかに」と頼ませるが、結末が見え見えである。

後半は武蔵にまつわるエピソードの羅列で、小説になっていない。三十五は途中から武蔵の小説を書くことを放棄したのか。

2021年9月8日水曜日

糸子の体重計  いとうみく

 作者のいとうみくはJOMO童話賞優秀賞受賞者。本作の主人公は小学校5年生の細川糸子。糸子はクラスで一番大きくて体重のある高峰理子とダイエットを始める。

話は糸子と理子のクラスメート町田良子、坂巻まみ、滝沢径介。章立てが、五人それぞれの章になっており、各章を読んでいくと、誰もが悩み、つまづき、友人関係を気にしていることが描いてある。これはまるで大人の人間関係と同じだと思った。児童文学だから、もっときれいな問題のない冒険物、友愛物、何かを成し遂げる話かと思ったら、大間違いだった。お互いに牽制し合い、お互いを認め合う、人間の物語が描いてある。モチーフとしてはクラス対抗マラソン大会、文化祭の出し物で段ボールで迷路を作る作業、雪で鎌倉を作ること、先生と生徒の関係などが描かれている。

この本を読むのはおそらく小学生高学年だと思うが、多くの読者は自分のことが書いてあるとおもうだろう。

結局、児童文学にせよ、大人向けの文学にせよ、詰まるとことは、人間の描写、人間の葛藤だと思った。

命名の仕方が面白い、太っている女子を「細川糸子」、何事もそつなくやっていく「町田良子」、それから良子にいつもつるんで機嫌を取る「坂巻まみ」。背の高い「高峯理子」、世間の逆風に立ち向かっている「滝島径介」。

新美南吉童話賞応募のために読んだが、参考になった。

2021年8月16日月曜日

Old Babes in the Wood Margaret Atwood

 The writer seems to be an old woman. She describes the psychology of two old women living alone near the beach. They are trying to resist to becoming old and to forgetting things. They remember what their father had done to them; they know they are old and inclined to depend on their older brother.

I myself am a 78-year-old man and therefore, I can understand what they are doing. The writer seems to be describing what I am thinking about. 

Well developed with nice conversations.


2021年8月14日土曜日

星落ちて、なお  澤田瞳子

 父、川鍋暁斎のことを怨んでいたが、結局は父を追憶することになる。とよ、こと暁翠の心情の変化を描いた。

父や兄(暁雲)とのつながりは絵を通してだけであった。兄は父の如くになろうとやせ我慢をして死に、とよも父を模範とするが無理。あまりにも偉大。

あれこれ、あれこれ事件を入れ込んで(弟子、娘、同業、出版社) 盛りだくさん書き込んで、最後はうまく収斂した。

始めはつまらなかった。途中から、兄が死に、自分の立場を意識するころから感情移入してきたか。

2021年8月10日火曜日

闇の歯車 藤沢周平

 エンタメとして最高傑作。

百両の金ほしさに徒党を組んだ五人組、うまく近江屋から六百五十両を盗むが、女中に顔を見られたことがきっかけで徒党の主、伊兵衛はお縄になり、他の三人も死んでしまう。残された主人公が裏長屋に帰ると、別れた古女房がいる。「百両などと言う金は、あれは悪夢だった」「まともに働き、小さな金をもらって暮らすんだ」

展開が分かりやすい。情景が浮かぶ。人情もの。心の内を詳しく描写している。台詞も無駄がなく、いい。

大した作家だ。



2021年6月7日月曜日

西郷札 松本清張

 明治の初め、九州で実在したが、価値がなくなった西郷札と言う紙幣を素材にした話。清張デビュー作。朝日新聞が募集した作品の中で第三位を獲得した。

話は、西南の役で活躍した村雄吾の手記に基づいて書かれているように仕掛けてある。全部フィクションだが、松本清張はうまくカムフラージュして、あたかも本当にあったかのように読者に思わせるため、ところどころ手記の原文(創作)、原文を匂わせたりしている。政府高官にまんまと詐欺にあうという詐欺事件をうまく描いている。

2021年5月20日木曜日

谷干城夫人 吉川英治

 西南戦争のとき、薩摩軍に対して熊本城に籠城した三千の官軍の谷干城将軍夫人の活躍を現わした。城兵は食糧が尽き「弾があれば敵兵を撃つか、雀を撃つか迷う」ほどになり、戦意を喪失している中、夫人は婦女を従え、空の食糧庫にはいり、溝や板の隙間や土に埋まっている粟などの穀類を掘り起こし、なんとか兵士の腹の足しにする。

腹ごしらえをした城兵はやる気を起こし、さらに数日籠城していると援軍がやってくる。

西郷軍と官軍の戦いを記載せず、もっぱら、フィクションかと思われる谷将軍夫人の功績を著したした。まともに戦いを書かず、側面を攻めた。

題材としては貧弱だが、これでも短編として成り立っているらしい。


2021年5月15日土曜日

忠助の銭 澤田瞳子

 疑問に思うところ三点

① 暴れ馬から助け出した大吉の祖父母は、忠助にお礼をしていない。なにがしの銭を払うとか、何らかの行動があってしかるべきなのに、何も触れていない。

② 最後の場面で、心中すると確信した忠助は二人の後を追うことをしなかった。普通なら、追っていくはずなのに、そうしなかった。

③ また、背におぶさった娘が忠助を見て、「銭を使ってくれ」と言っていると勝手に思ったが、不自然。銭がどこに置かれたのか、位置関係が分からない。確実に渡す思いがあれば、直接渡すはず。

2021年5月12日水曜日

The Case for and Against Love Potions by Imbolo Mbue

The Case for and Against Love Potions

Imbolo Mbue is a native of Limbe, Cameroon, and a graduate of Rutgers and Columbia Universities, Mbue lives in New York.

The writer is clever because she attracts the reader with a "love portion" as a MacGuffin. 
The writer presents two examples which use the effect of a "love portion": Wonja uses it in a wrong way and ends up with becoming mad while Gita wins her husband Ikolo by using the love portion. 
The two are well balanced. 
This is a humorous and amusing fairy-like story. 
This story seems to be meant to children, but it was  published in "New Yorker." I don't know why. The message it has is great enough to be published in a well known magazine?

2021年4月28日水曜日

北斎まんだら 梶よう子

 高井鴻山が主人公だが、あまりにも個性がなさ過ぎ。つかみどころのない男。小布施の豪農の惣領で、京で10年も武道、絵画、和歌などを修業しているのに。始終お栄や善次郎や北斎にびくびくしている。言いたいことが言えない。
これに対してお栄は江戸っ子のべらんめい。お栄は北斎の代わりのように鴻山に絵の指導をするが、これは北斎がするべきこと。また渓斎英泉は余りにもひょうきんもので女好きな軽い絵師に仕立てられている。
全体のトーンが不真面目で茶化して、真剣味がない。最後の部分に少しあるかと思うが。
枕絵に描写、男根、女性器のことが長々と書かれていて、嫌になる。
フィクションとはこうも史実から離れて、(鴻山が十八屋に居候をしていた?)自由に描いてもいいのか。これなら私ももっと自由に「光と影の女絵師」を書けると思った。
所どころ蘊蓄を挟んでいるが、蘊蓄の講釈だなあと分かってしまう。
北斎の孫の重太郎も極悪人に描いてあるが、「百富士」を北斎が真似たという点は知らなかった。
著者の意図は何なのか。何を伝えようとしているのか。高井鴻山が出るのだから、北斎の小布施での活躍(祭屋台の天井画男波女波や鳳凰図、龍。さらに岩松院の大天井画のこと)が抱えていないのは片手落ち。
絵を描くということはどういうことか書いているが、所詮は著者の想像上のことと思えてしまう。


2021年4月18日日曜日

秘密の花壇 朝井まかて

 滝沢馬琴の伝記物。馬琴の人となり、喜怒哀楽が読者に染み入るように描写されており、後半を読んでいて、馬琴に同情を禁じ得なかった。
 息子の宗伯の死、滝沢家の断絶の危機。妻(お百)の嫁(お路)苛め、足腰の衰弱、視力の衰え、筆が思うように動かないためお路に口授など、どれもこれも執筆の妨げになる。しかし、馬琴は「南総里見八犬伝」を完成させる。実に53巻。
 山東京伝に弟子入りし、師匠を乗り越えようとしていた初々しさが消え、後年は、諦観、頑固、回顧、厭世になる。
 朝井まかての筆もいい。漢語を駆使し、八犬伝から引用し、話の展開もだらだらしていなく、章ごとに話を新たに紡ぐ。
 唐山元明の小説の法則を紹介している。所謂法則とは、一に主客、二に伏線、三に襯染、四に照応、五に反対、六に省筆、七に隠微すなはち是れのみ。
 日経新聞小説2020年四月から12月まで全293回を読了した。

お江さま屏風 永井路子

 お江とお茶々の対立の話が、お茶々が死んでから春日局との対立になり、話の焦点がづれて、読者の混乱を招く。春日局の話は付け足しのように響く。余分だ。
「お江さま屏風」のタイトルと、いわれも取って付け加えたよう。

2021年4月15日木曜日

What Is Remembered  by Alice Munro

 Full of psychological interaction between Meriel and the doctor. In the latter half of the story the doctor says, “No” and refuses to kiss her to protect her and himself. This is an unusual attitude for a normal man. Usually a man would kiss her, knowing that would be the last time they meet.

Long after her husband dies, she remembers the incident and allows her imagination run wild. She might have led a different life.

Not so interesting. Just pointed out a kind of unusual relation between a man and a woman. Everybody has a chance to imagine what would have happened if he or she did not choose the way they have chosen.

2021年4月6日火曜日

中秋十五日 滝口康彦

読者を馬鹿にしている。最初の狩りの場面の記述が全くでたらめで、真相はあとから明かされる。嘘の記述を後からひっくり返すのは読者を愚弄するものだ。

彦左衛門が真相を大膳亮に語ったそうだが、平馬が咄嗟に狙いを変えたことを彦左衛門が気づくはずはない。治右衛門と平馬はほとんど同時に撃っているからだ。

忠真は再度の謀反を起こしそうになるが、なぜかに触れていない。二万石が与えられているというのに、また謀反とはなぜかを記していない。読者を置いてきぼりにしている。

仲介徳川家康の仲介があって和睦したので、正面から忠真を殺しては、徳川に面目が立たないというのもおかしい。謀反のきざしありと家康に言えば家康も納得する。むしろ、忠真とその一族を殺したことは家康に伝わるはず。家康はどう思うか。

治右衛門に説得されるが、これもおかしい。

最後の占めも余韻が残らない。

つづく

2021年3月18日木曜日

蔦重の教え 車浮代

今書いている葛飾応為の小説の足しになるかと思って読んだが、あまり得るところはなかった。

主人公が江戸時代にタイムスリップして、蔦屋重三郎に助けられ、蔦屋の仕事ぶりをいろいろ学ぶ。同時に歌麿とも懇意になる。

話は、蔦屋と歌麿の生い立ちを主人公が訊きだし、現代と並べる手法。それなら、伝記を読んだ方がすっきりする。小説として起承転結やクライマックスがなく、感動的な場面はゼロ。電卓を持っていって、暗算をするというのもおもしろくない。吉原の裏の話とか、蔦屋の取り調べ(検閲)とかの話がない。

花魁と情事の際に男が現れ、あわやと言うときに現代に戻る。

余り掘り下げて描いてないので飛ばし読みで、今日図書館で借りてきて、今日読み終えた。薄っぺらな話。

最後に「教え」が列挙されているが、この本は、小説と言うよりも実用書かと思った。中途半端なごちゃ混ぜ本だ。

相当蔦屋のことと歌麿のことを調べたように感じた。

2021年3月16日火曜日

武士の賦(もののふのふ)佐伯泰英(やすひで)

 佐伯氏は時代物小説の名手で「居眠り51話をを始め、夥しいかずの小説を書いている。1942年生まれだから、わたしの一歳年上。現在79歳。老齢にして健筆ぶりを発揮している。時代物を書いている私としては、どういう時代物を執筆されるのかと思いつつ、今日まで読む機会がなかった。今日「武士の賦」第一話「初恋の夏」を読んだ。

時代物でいろいろ江戸時代の用語が出てくる。江戸藩邸、御長屋、近習目付、士分、老女など。江戸時代の社会のことを知る必要があると思った。

話は4歳の利次郎が15歳の春乃に心を引かれるが、粗暴ゆえに祖父の家に預けられ6年が過ぎ、10歳のときに娘になった春乃に会う。淡い恋心を幼子ながら持っていたが、6年ぶりに会った春乃は「嫁に行きます」と言い。「利次郎はその言葉に両眼を閉ざすと、混乱する頭の中から、『幸せにな』と絞り出した。」

 話は単純明快で、分かりやすく、読みやすい。時代物だと言ってガチガチにする必要はないことが分かった。

2021年2月20日土曜日

浄瑠璃地獄 大島万寿美

 よくできた話。作者は浄瑠璃のことにくわしい。専助が近松半二の娘、おきみを世に出すため、柳太郎(近松やなぎ)に肩入れする。その心意気がうまく描かれている。「彫刻左小刀」は実際にあった浄瑠璃で、専助添削、柳太郎作だ。作者がこのことを小説にしたのだが、その才能が素晴らしい。大阪弁もいっぱい出ていて上方の雰囲気が出ている。

最後専助は楽しい浄瑠璃極楽を夢見つつ死んでいき、おきみ(近松加作)が大成するかどうかは、語ってない。そこが余韻というところか。

おもしろかった。

2021年2月7日日曜日

紅嫌い 坂井希久子

江戸摺師の娘、お彩が呉服屋の色彩見立てアドバイザーになる話。色盲のため赤と緑が同じに見える武家をうまく材料にしている。

そこに、目の見えない元摺師の父親、呉服屋の次男、手代、許嫁などを登場させて、一編のの話に仕立てている。最後は、呉服屋の色の見極め役になるのかならないのか、はっきりしないところで、余韻をもっている。

時代物を描くときの参考になった。

膝を払い立ち上がる 間口10間はあろうという大店の前にたどり着いた。板戸を取り払った店内は、大いに賑わっている。奉公人は忙しく動き回り、広々とした座敷では、多くの客が反物を物色中である。お彩のように古着を着ている者はいない。ぐっと眉を寄せる それぞれの仕事をしつつも聞き耳を立てるこれは本気だ 「でもーー」と呟き、視線をさまよわす 噂になってます 仰天して仰向けに反った 様子を見守っていた他の手代 足を濯ぐ 足を拭う しばらく黙々と箸を動かしていた辰五郎が、ふいに思い出したように呟いた。沢庵をぽりぽりと齧りながら、先を続ける 余りの剣幕に、お彩は口の中のものをごくりと音を立てて飲み込んだ 肝心要の外堀はすでに埋められて

2021年2月4日木曜日

へぼ侍 坂上泉

 西南の役の前線に出て武功をあげようとした17歳の少年隊長の話。西南の役の戦いの場面のエピソードが色々あるが、戦況についての説明が長く、途中で退屈してしまう。

 江戸時代から明治に移り変わる激動期、西南戦争において武功を挙げんと意気揚々と東京から熊本まで出かけた、元剣道場の跡取りの志方錬一郎は、戦場で戦い方が、剣から銃に替ってしまい、やあやあ我こそはの戦が、射撃一発で瞬時に終わる戦いとなってしまった。武功を挙げるどころではない。17歳の遊撃隊長として西南戦争にはせ参じた錬一郎も、あれから60年たち、77歳になり、東京に出て勉強して、今では大阪の父の道場の後に、書院を経営し隠退する。この60年間に世の中がまるっきり変わり昔を懐かしく感傷に浸る錬一郎であった。

 戦の場面が詳しく書かれているが、同じようなことばかりで、読んでいて飽きてしまう。戦地で酒を呑むとか女を買うとか賭博するとか、エピソードいろいろあるが、読むのがつまらなくなるところもあったが、最後の章で、なんとか挽回したよう。最後の感傷場面がなければ松本清張文学賞を受賞していなかったろう。

2021年1月20日水曜日

清経の妻 澤田瞳子

 北畠三喜の娘・多満は、香炉を探して、

「ないッ。父からいただいた香炉がありません。今朝まではここにあったのです」

と言っているが、著者は香炉がどこに行ったかを最後まで明かしていない、中途半端な作品。

能の「清経」を巧く小説に仕上げた。どことなくわざとらしい。

2021年1月16日土曜日

震雷の人 千葉ともこ

 松本清張賞受賞作品

安禄山が登場する歴史小説と思ったら、そうではない。武侠もの。兄妹が唐の末期にどう生きたかを描いた作品。だから、唐に反旗を翻した安禄山の戦いぶりというより、細々した日常のいざこざ、例えば母との関係、妹(采春)とその許嫁との関係、兄(張永)の人間関係の話など、が中心に話が進められていく。そのため歴史的展開がほとんどない。日常生活の描写が大部分で、面白くない。

疑問点

采春は、許嫁(顔李明)を安禄山が殺したからと言って、安禄山を仇として狙うという話は、構想が大きくて良いが、大きすぎる。

安禄山の行言動が一行も書かれていない。これでは安禄山がどういう人間かが読者に伝わらない。でぶでぶの安禄山が寝ていると場面が突如でてきて、あっけなく殺されてしまう。敵討ちだからもっと力を入れて書くべきだ。

また、いただけないのは仇を討ったのに話が延々と続く。

李明の言葉が疑問だ。

「そもそも人の心は何で動く。(略)わたしは字だと思っている。字はただの容ではなく、言葉も字を口にしただけの単なる音ではない。活きて、人の芯である心を打つ。ゆえに、私は文官になりたい」

上の文で「ゆえに、文官になりたい」と言っているが、字が大事だから文官になりたいというのはどういうことか分からない。「文官」とは大辞泉によれば「軍事以外の行政事務を取り扱う官吏」のことであり、行政職である。字、または言葉、または文章で人を動かしたいのであれば「文筆家になりたい」と続くのが自然である。「字」というのも分かりにくい。

つまらなくて、何度も途中で読むのを辞めようと思った。最後の部分(采春が燕側で、張永が唐側)になり、兄妹が敵対同士で戦う場面になってやっと面白くなってきた。

読者を牽引していくものがない。

もう一度読んでみようか。松本清張賞受賞作だから。


2021年1月6日水曜日

後巷説百物語 京極夏彦

巷説百物語(のちのこうせつひゃくものがたり)

奇想天外な話。

怪奇と言っても幽霊やお化けが出てくる話ではなく、世の中の常識や通年が全く通じないというか、むしろその逆の世界(恵比寿島)を現実味を持って描写している。人間は空想でこれぐらいのことを想像できることを文字で実証してみせている。人間の想像は無限ということ。

話の構成が読者を飽きさせないようにしてある。すなわち、章によって、対話形式であったり、独演会のように一人で一方的に話したりしている。劇中劇形式で、その話を聞く者も巧く全体の話に組み込んでいる。

とにかく、奇想天外で想像もできない世界を描いているので、どうなるか、どうなるかという思いで、次のページに進んだ。A page-turning story of an unrealistic world.

2021年1月2日土曜日

故郷 魯迅

 主人公が故郷を離れて20年ぶりに大金持ちになって故郷に帰ってくる。景色は昔のままだが、20年ぶりに会った少年時代の友人(閏土)が貧しい中年男になっていた。閏土は主人公に会うと「旦那様」と呼ぶ。主人公(魯迅か)は金持ちと貧乏の間に横たわる深い溝を認識し、昔の友と昔のように打ち解けて話せないことを寂しく、また残念に思う。そんな思いを持って、故郷を離れていく姿が巧く描かれている。閏土の子と魯迅の子はまた同じことを繰り返すのだろうか。

考えさせられる短編。人は、相手の人格ではなく社会的地位で判断し、態度を変える。


風狂の空 城野隆

 宣伝文句に「平賀源内が愛した天才絵師」とあるから絵師(小野田直武)の話かと思ったら、絵師の話ではなく、平賀源内の話と、直武の話とごちゃ混ぜになり、もっと悪いことに、吉次郎という絵師(実は司馬江漢)が出てくる。吉次郎は本作では悪役として登場するが、司馬江漢が直武との確執で女を抱かせたり、殺そうとしたりしたという話は作り話丸出しだ。また田沼意次も話に登場するが、この作家の特徴か、「一枚摺屋」でも水戸光圀をだし、けれん味を出しているが、どうも話の筋が分からない。分からない原因は誰が主人公か分からないからである。源内か直武か。混線したままで話が進んで行く。推理小説でもないし、天才絵師の内面を抉る話でもない。政界の裏話でもない。中途半端。

杉田玄白の「解体新書」の付絵を完成したところで話を終えてもいいのに、あとだらだらと引き延ばされた感じ。付絵もその苦労や描き方など詳しくは述べられていず、表面的叙述に過ぎない。

余り読む価値がない。駄作。