2013年11月24日日曜日

キャンプファイヤーに降る雨 Rain Flooding Your Campfire テス・ギャラガー Tess Gallagher


作品の中に出てくる小説家Mr.G(ガリバン)は、夫のレイモンド・カーバー。この作品に描かれているように、実際1981年テスの盲目の友人が訪ねてくる。二人ともこの訪問を種にして作品を仕上げた。レイモンドは「大聖堂 Cathedral」を1981年に、2年後にテスが「キャンプファイヤーに降る雨」を出す。「Mr.Gの小説ではこのようになっているが」という場面は大聖堂の小説に言及しているのだ。

「大聖堂」では、夫は、訪れてきた目の不自由なロバートをあまり歓迎していない。「来たらボーリングに連れて行ってやろうか」とか、来てからは「電車では右側の座席に座りましたか、左側でしたか」という質問をして、奥さんに嫌がられる。しかし、奥さんがうたた寝をしているとき、テレビで大聖堂に関する番組があり、夫は大聖堂がどういうものかを説明しようとするが。うまく説明できない、そこでロバートが厚紙とボールペンで大聖堂を描いてくれという。描いている夫の手にロバートは自分の手を添えて動きをなぞる。その内にロバートは夫に目を閉じてそのまま描いてくれという。夫は目を閉じて描いている時に、見えないとはどういうことかを体験する。

 
153ページで、「彼の小説の語り手は、視覚障害を持つ客を通じて、ある種の言葉にできないもの、盲目性といったものを経験する」はこの大聖堂の最後の行のことを指しているのだ。

 
大聖堂では夫の視点から描かれている。夫はロバートの手を通して共感を得るのだが、Rain Falling on Your Campfireでは、語り手は女性である。女性の思いやりが、妻を亡くしたノーマンに共感している

 

タイトルについて

始め、Harvest(収穫)だったが、あとからRain Flooding Your Campfireに変えた。Harvestというタイトルの意味がわからない。Rain Flooding Your Campfire

というタイトルは、華やかで、にぎわしいキャンプファイヤーという人生も妻をなくすと大雨に火が消えるように悄然とするという意味合いから付けたのであろうか。

 

 

ウッドリフさんのネクタイ Mr. Woodlilff's neckties テス・ギャラガー Tess Gallagher



1.ウッドリフ夫妻は、レイモンド・カーバーとテス・ギャラガー夫妻のこと。テスは自分たち作家夫妻の隣人の視点で描いている。

 
2.テスは1943年生まれ、カーバーは1938年生まれで、5歳年上。カーバーは1988年五十歳で肺がんで亡くなる。大酒飲みでマリワナを大量に吸っていた。亡くなる数ヶ月前に結婚するが、結婚する前に約10年ぐらい共同生活して、お互いに執筆の批判などをし合う。

 
3.時間の経過を使い、懐かしさをうまく表現している。

この短編の真髄は、メキシコ人が運んでくる絵画に凝縮されている。すなわち、喜び、悲しみ、運命、友情、そして別れである。喜びは夫婦でバラを育てる。悲しみは放射線治療。運命は夫婦になり最後は病気でなくなる。友情はネクタイの結び方を教え、バラの育て方を教え、芝を刈る、別れは夫人は夫を、筆者は愛妻をなくす。

 

心を打った文

あの時は、ともに伴侶がいた(ウッドリフ婦人には夫が、私には妻が)、何もかもあったのだ。

 
構成の面白さ

最初に家具などを運び出す青年、最後でウッドリフさんの息子であることがわかる。

2013年11月1日金曜日

常寒山 吉田知子


芥川賞作家であるが、この短編は読者を混乱させる。小説の大前提である視点が、故意に変えられており、一度読んだだけでは、どういう状況かを把握することは困難。それがいいという読者もいるとは思うが、邪道だ。

病床で寝ている主人公が、夫の明夫とその友達(石田、一平、姪の双子)と山登りをする。山登りの状況が事細かに描かれているので、読者は主人公が夫や友達と一緒に登山をしているのかと思う。私ははじめ、これは主人公が何年か前に皆と山登りをした時のことを回想しているのだと思って読んでいった。最後の方で、主人公が一平を蹴飛ばすところに来て、いったいどういうことだ、と思って頭が混乱した。二度目に読んだ時も、主人公が臨死体験者のように夫について山登りをしているということは気がつかなかった。

効果を狙った短編だが、読者泣かせで、罪な短編だ。この短編はいただけない。