2012年6月30日土曜日

不等辺三角形 内田康夫

 名古屋の陽奇荘にあった仙台箪笥を仙台に修理に出すところから話が展開する。陽奇荘の世話人であった柏倉が水死体で見つかり、仙台で箪笥を見に来た岩澤も殺される。浅見光彦という探偵が謎を解き明かしていく。  話の舞台陽奇荘は、実は揚輝荘で、松坂屋創業者、伊藤次郎左衛門の別宅であった。登場人物の正岡家は実は伊藤家である。勿論フィクションであるから小説のようなことはなかったのだが、内田康夫は「あとがき」で、奥松島と名古屋の取材から刊行まで5年かかったと言っている。汪兆銘が陽奇荘にて謎の漢詩を詠んだ話などはポーの黄金虫の話のような謎解きの面白さがあった。
 話の展開がゆったりしていて、急がずじっくり読み進められる。内田がところどころで立ち止まって、話の整理をしたり、浅見のモテぶりを描いたりしてくれるからだろう。ただ、浅見探偵はシャーロック・ホームズのようなキレがない。どちらかというと次第にどことなく情報があちこちから集まってきて最終的に判断するというタイプ。どこか冴えない。
  しかし、冒頭の三人の死体と謎の漢詩のおかげでどんどん読み進み、3日で読み終えた。

2012年6月24日日曜日

善人はなかなかいないA GOOD MAN IS HARD TO FIND by Flannery O’Conner

この短編は隅から隅まで、用意周到にほぼ完璧に仕上げてある。まずMisfitは実はgrandmotherで、grandmotherがキリスト教を生半可に捉えている。これに対して<はみだしものMisfit>の方が真剣にキリスト教について考え抜いている。
Who is the real Misfit? It is the grandmother, who assumes that she is a pious Christian, but who actually pretends to be a lady, looks down upon a low-class people, does not admit her mistake about the roads, disdains a black child, and wants to marry a rich man. On the other hand, the Misfit is a good man, who thinks about the existence of Christ seriously, at least far more seriously than the grandmother. He says in the end, “She would of been a good woman….” as if he were a saint.

Misfitは、自分のしたことに対しての罰があまりにもひどい。父を殺していないのに父親殺しとして刑務所に入れられた。俺は割に合わない人間だ。やった悪が3であるのに、罰が10もある。その差の7の悪事を働かねば割に合わないということで悪事を働く。

最後のアンバランス人間の言葉She would have been a good woman, if it had been somebody there to shoot her every minute of her life.とはどういう意味か。たぶん「彼女みたいな鼻持ちならない奴は、殺されなければ自分がどういう人間かわからないよ」という意味。逆に言えば、死に直面して初めて人の仮面が剥がれるということ。

話では、おばあさんは信心深いキリスト教徒のように見えるが、おばあさんこそがはみ出しもの(社会に不釣合な人間、悪人と言ってもいい)人を見下している「私はladyよ」「お祈りしなさい」「あなたいいとこの生まれよね」と。Misfitは軍隊、葬儀屋、鉄道、農夫、離婚、竜巻に襲われ、袋叩きにあった女や焼け死ぬ男を見たことがあるようなありとあらゆる凄惨をなめた底辺の男だ。そんな男に「あなたいいとこの子だわね」というのは鼻持ちならない。偽善ババアを打ち殺すしかないのだ。

天気について同じ内容の文が二回も出てくる。Don’t see no sun but don’t see no cloud neither.とThere was not a cloud in the sky nor any sun.とあるのは著者が意図をもって書いていると思われる。おそらくSunは善人で、Cloud は悪人であろう。とすると世の中、善人も悪人もいなくて、境遇で悪人にも善人にもなるといっているのではないか。タイトルのA Good Man Is Hard to Find.も裏を返せば、A Bad Man is Hard to Find.ということだ。

「善人はなかなかいない」の翻訳の中の問題点
Of course,”he said, "they never shown me my papers. ① That's why I sign myself now. I said long ago,② you get you a signature and sign everything you do and keep a copy of it.

①誤:今、俺が<はみ出しもの>となのっているわけはそれだよ。  正:だから俺は今署名しているんだよ(悪事を働いてやったという記録を署名をして残す)

②誤:名のりをこしらえて、  正:署名の文字の形を考えて (誤訳のままだとつじつまが合わない。「……釣り合いがとれてるかどうかたしかめられる」とあるが、釣り合いが取れていないという結果が出たから「はみ出しもの」と名乗っているのであって、「名のり」をこしらえてから釣り合いを確かめるのは逆ではないか。
 

不意打ちの幸運 A Stroke of Good Fortune by Flannery O’connor

テーマ:子供は母親を干からびさせる悪なのか、神から与えられる宝なのかという疑問を投げかけている。Rubyにとって、妊娠は「不意打ちの悪運」であるが一般的には「幸運」

1.タイトルA Stroke of Good FortuneのGood Fortuneは登場するHartley Gilfeetのことでもある。Hartleyの母親はHartley(拳銃を持った乱暴な悪餓鬼)のことをLittle Mister Good Fortuneと呼んでいる。最後にHartleyがRubyに突き当たり疾風のように階段を駆け上がっていく様はまるでstroke (=vigorous movement)だ。わざわざ最後の最後に作者がHartlelyを出して階段を駆け上がらせたのはこのためである。すなわちHartleyの動きはA Stroke of Bad Fortuneだ。

2.二人の同じビルの住人の言葉も意味深長だ。まず、Mr.Jerger (78)が、若さのもとは体内にある胎児のことを間接的にRubyにつたえている。次にLaverne WattsはあからさまにMOTHERと言っているが、Rubyは気が付かないし、気がつこうとしない。というのは、ルビーの母親は34歳でしなびた黄色いリンゴのようで、白髪交じりになり、子供を8人産んで、死産が二人、ひとりが一歳未満で死亡、事故で一人死亡している。このためRubyは赤ん坊を産むことの恐怖、産みたくないという強迫観念におそわれているから。

3.Rubyは吐き気がしたり、目まいがすると「心臓病じゃないかしら」と思う。私も、そう思った。同様に下腹部で何か動いているような気がすると「癌ではないかしら」とか「ガスのせいだ」と思う。私も、そう思った。さらにBill Hillが避妊器具で五年間失敗したためしがないと言っているから、私も妊娠ではないと思ったが、結末で妊娠していることが明かされる。オーヘンリーのようなエンディングだ。

Theme of the story: Is a baby a good fortune or a bad fortune, which will ruin his/her mother? For Ruby, a baby is a bad fortune because she knows how her mother suffered from raising babies.

Interesting Point
What is Good Fortune in the story? It is Hartley, for his mother calls him “Little Mister Good Fortune.” In the end of the story, he (as a bad fortune) runs up the stairs hurriedly and violently (as if he were a bad fortune) crashing Ruby. Stroke means vigorous movement. Thus, A Stroke of a Good Fortune is actually A Stroke of Bad Fortune.

2012年6月9日土曜日

ヒカダの記憶 三浦哲郎

1985年「文学界」54歳の作品

1.文章がゴツゴツしていなくスムースで読みやすい。また状況の描写が細かく書かれていて、読んでいてイメージがわいてくる。

2.ヒカダとは東北の女性がこたつの炭火で足を温めているときに焙られてできる軽いやけどのようなもの。三浦が幼いときに女風呂でいろいろな模様のヒガタを見た話が書いてある。縞、格子、市松、絣、斑模様と多種多様。三浦の母親は粗い網の目模様。夢の中で、母親かどうかをその足を見て判断したというから面白い。

3.展開:生前の母親の夢見の話から、三浦自身の夢になり、母親のヒダカのことになり、産婆が三浦を取り上げたとき、三浦の母親の足が出産の力みでヒダカがきれいに浮き上がったという。エンディングは、ほろりとさせる。「葬儀屋が母親の遺体に白足袋を履かせるてやるのに手間取っていると、着物の裾がひとりでに滑って片方の脛があらわになったのである。」三浦は「見覚えのある編みの目をしばし眺め」て昔のことを思い出す。「もう、ようござんすか」と葬儀屋が言って、葬儀屋の手がみるみるおふくろの脛を覆い隠し、お袋と一緒に、ヒダカも消えると思った。

4.最後のヒダカがこれで永久に消えるところで話が終わり、読者をほろりとさせるところが上手い。

三浦 哲郎(みうら てつお)1931年は青森県八戸市の呉服屋「丸三」の三男として生まれる。芥川賞等多数受賞 2010年(79歳没)

掌の記憶 高井有一

1981年(昭和56年、戦後36年後)49歳にて執筆
400字詰め原稿用紙36枚

文章の流れがスムースで、読みやすい。変に文学的に凝った文章より素直でよほど良い。自転車通勤の風景から、少年時代の自転車にまつわる思い出にタイムスリップして、3つのエピソード(自転車入手、下校時の空襲、友達の叔母)を紹介し、また時間を現代に戻し小説は終わる。
タイトルの「掌の記憶」がなぜそういうタイトルになっているのかが、小説を読み終わってなるほどとわかるようになっている。そのため、この小説は、「朝いつものように自転車に跨り滑り出そうとするときに、ふと、少年のころの感覚が甦って来る事がある」で始まり、読者に少年のころの感覚とは何かという疑問を抱かせる仕掛けになっており、話が展開していって、エンディングで、「そう相槌を打ちながら、私は、昔の自転車の重い感触が、掌に甦って来るのを感じた」としている。最初と最後がうまく調和しており、サンドイッチ的構成になっている。
終戦の年13歳だったから、「掌の記憶」は少年時代の思い出の記であろう。

高井 有一(たかい ゆういち、1932年生まれ )は、日本の小説家。内向の世代の作家の一人。本名は田口哲郎。日本芸術院会員。1965年芥川賞受賞。谷崎、野間、大佛等の文学賞多数受賞。