2015年1月15日木曜日

The Conversion of the Jews Philip Roth


 This is one of the most humorous stories I have ever read. Despite the grave title, “The Conversion of the Jews,” the novel often makes the readers laugh. The most dramatic and humorous part is the scene where Ozzie orders Rabbi, his mother, and the people down below to say, “God can make a child without intercourse.” This is the moment of conversion from Judaism to Christianity. Roth keeps the readers in suspense in the early pages of the novel: whether Ozzie will come down to the ground safely or not. This is a good technique to drive the reader into a corner. The last scene is effective. It gives the reader a relief. Ozzie says, “Now I can come down… And he did into the center of the yellow net that glowed in the evening’s edge like an overgrown halo.

2015年1月7日水曜日

大力 太宰治


大力

この話は井原西鶴の『本朝20不孝』の「無用の力自慢」を種本としています。原作(現代語訳)を読んでみてがっかりしました。「大力」のあらすじと原作とほとんど変わらないのです。

原作は次のような話です。

丸亀屋才兵衛なる怪力男が相撲好きで、父親が相撲をやめるように言っても相撲をやめない。母親も「島原へ行って千両や2千両遣ったところで減るものではない。相撲をやめて存分に色遊びをしたらどうか」と勧めても、相撲をやめない。ついに女房を持たせるのだが、才兵衛は「摩利支天に誓って女は嫌いじゃ」と言って女房を避ける。ところが夜宮相撲で、相撲取りに投げ飛ばされて肋骨を折って床に伏し、両親に足をさすらせ、親の罰当たりとして名乗りを上げることになった。以上が原作です。

原作と「大力」の違いは主に2つあります。一つ目は、「大力」では才兵衛が幼少の頃、いかに怪力であったかが描かれていること。二つ目は、相撲の師匠の鰐口が「おい、おれだ、おれだよ」と言って隙を作らせ、投げ飛ばすという点です。太宰が「無用の力自慢」を改作した箇所は、突き詰めて言えばこの点だけです。もっとも父親が楊弓、香、蹴鞠、狂言などを勧めますが、これも原作に「琴、碁、書画、茶の湯、蹴鞠、楊弓、謡曲などの慰みもの」が出てきます。鰐口の取り組み方はユーモアがあって面白いのですが、誰しも考えそうな勝ち方で、太宰独特の勝ち方ではなく、目新しいものではありません。

種本を改作して新しい作品を創作するのは面白いのですが、太宰の「大力」は余りにも原作と似ていて興ざめしました。