2013年12月23日月曜日

逃げ道 筒井康隆

顛末がドキリとさせる話。これは悲喜劇? コンビニがある今どき、「お坊ちゃん」の食べ物が買えなくて心中する母子がいるだろうか。話に無理があるが、筒井はそのことを承知して書いているのだろう。ドキリとさせる手法はチェーホフの「ねむい」に通ずる。「簾見」という駅名が面白い。天皇が簾の奥から指図するように、秋夫は婆やに指図をする。 あれあれ、一体どうなるのだろうと思わせて、話を終わらせインパクトを与える短編のひとつの手法がつかってある。

小猫 高樹のぶ子

話作りがうまい。舞台を日本にせず、パリとチューリッヒにしてあり、国際的。
洋介は猫と一分間じゃれるが、実は子猫は京子自身で、洋介が自分を弄び、最後に捨てるという遊び人の冷たさを見て、京子は我に返りホテルを去る。16年間も待ちに待っていたのに、洋介はなんとも思ってないという悔しさもあるか。
最初の文が4行もあるのは何故か。
別れ話の時、洋介は「涙で顔を汚す」が何故洋介は何故泣くのか。また「恨みながらも」とあるが、本当に恨んでいたとは思えない。洋介は遊人でかえって別れ話で良かったのではない。

 

2013年12月7日土曜日

青の使者 唯川恵

話としては面白いが、うまくできすぎの話。作為的、でっち上げ的短編。活字にしてしまうと本当にあったことのように思える錯覚に陥るが、いろいろ不自然なところが多い。
1.一メートルの鯉が100匹とは、いくらなんでも多すぎる。
2.ユリがどうして容子を家の中に入れたのか。玄関払いになるのが自然であるのに。
3.なぜ容子がユリを殺したのか。動機が単に青いブラウスを着ていただけというのは、単純すぎる。読者を納得させられない。気が狂ったのかと思った。 4.殺した直後に鯉に餌をやるが、気が動転しているはず。そんな余裕はないはず。
5.容子はユリを殺してから、扶美を訪ねるが、理由が分からない。 6.扶美は容子を部屋に入れるが、玄関払いをするはず。
7.一ヶ月前に森岡は死んでいるはずだから、死体を切り刻んだのか、それにしても冷蔵庫にはいったのだろうか。腐敗しなかったのか。不自然だ。
8.「青の使者」のタイトルの意味がわからない。 全体に筋だけが先行している。

○良い点
1.金歯が餌の間から出てきたことで、読者をぞっとさせること。このトリックはうまい。
2.ユリを殺すときに爪に「めり込んでいたものさえ鯉はたいらげた」は、次に出てくる森岡ごろしの伏線として効果抜群。(「未知との遭遇」「ジョーズ」の手法)

唯川恵 1955年生まれ 「肩ごしの恋」直木賞

岩 北方謙三

 ハードボイルドのエンタメ短編。面白いが、やくざな探偵が堅気の青年に暴力を振るうのはいただけない。後味が悪い。
 北方の文章は分かりやすく、情景が目に浮かぶように描かれている。岩礁を目指して泳ぐ二人の若者を出して、何事かと読者に思わせ、読者を本に引き込んでゆく手法はうまい。時間の経過など、タバコを吸った本数で表す工夫がある。
 岩礁に向かって泳いでいた若者が、偶然目指す店のバーテンだったというのはご都合主義であるが、北方は「滑稽な話の中に、滑稽な偶然をひとつ偶然をひとつ加えたにすぎない」と言い訳をしている。
 最後で、「いつか岩のない海を泳ぐかもしれない」という文は、自分がいつか暴力でやられるということを暗示しているのか。「岩」というタイトルを解説しているのだろうが、エンディングがわかりにくい。

北方謙三(きたかた けんぞう)

1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部在学中の70年に、純文学作品「明るい街へ」で作家デビュー。10年後、「逃がれの街」「弔鐘はるかなり」などで、ハードボイルド(暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体)小説の旗手として一躍人気作家になる。89年からは歴史小説を手掛け、91年「破軍の星」で柴田錬三郎賞を受賞。2006年「水滸伝」で司馬遼太郎賞を受賞。00年より直木賞の選考委員を務める

2013年11月24日日曜日

キャンプファイヤーに降る雨 Rain Flooding Your Campfire テス・ギャラガー Tess Gallagher


作品の中に出てくる小説家Mr.G(ガリバン)は、夫のレイモンド・カーバー。この作品に描かれているように、実際1981年テスの盲目の友人が訪ねてくる。二人ともこの訪問を種にして作品を仕上げた。レイモンドは「大聖堂 Cathedral」を1981年に、2年後にテスが「キャンプファイヤーに降る雨」を出す。「Mr.Gの小説ではこのようになっているが」という場面は大聖堂の小説に言及しているのだ。

「大聖堂」では、夫は、訪れてきた目の不自由なロバートをあまり歓迎していない。「来たらボーリングに連れて行ってやろうか」とか、来てからは「電車では右側の座席に座りましたか、左側でしたか」という質問をして、奥さんに嫌がられる。しかし、奥さんがうたた寝をしているとき、テレビで大聖堂に関する番組があり、夫は大聖堂がどういうものかを説明しようとするが。うまく説明できない、そこでロバートが厚紙とボールペンで大聖堂を描いてくれという。描いている夫の手にロバートは自分の手を添えて動きをなぞる。その内にロバートは夫に目を閉じてそのまま描いてくれという。夫は目を閉じて描いている時に、見えないとはどういうことかを体験する。

 
153ページで、「彼の小説の語り手は、視覚障害を持つ客を通じて、ある種の言葉にできないもの、盲目性といったものを経験する」はこの大聖堂の最後の行のことを指しているのだ。

 
大聖堂では夫の視点から描かれている。夫はロバートの手を通して共感を得るのだが、Rain Falling on Your Campfireでは、語り手は女性である。女性の思いやりが、妻を亡くしたノーマンに共感している

 

タイトルについて

始め、Harvest(収穫)だったが、あとからRain Flooding Your Campfireに変えた。Harvestというタイトルの意味がわからない。Rain Flooding Your Campfire

というタイトルは、華やかで、にぎわしいキャンプファイヤーという人生も妻をなくすと大雨に火が消えるように悄然とするという意味合いから付けたのであろうか。

 

 

ウッドリフさんのネクタイ Mr. Woodlilff's neckties テス・ギャラガー Tess Gallagher



1.ウッドリフ夫妻は、レイモンド・カーバーとテス・ギャラガー夫妻のこと。テスは自分たち作家夫妻の隣人の視点で描いている。

 
2.テスは1943年生まれ、カーバーは1938年生まれで、5歳年上。カーバーは1988年五十歳で肺がんで亡くなる。大酒飲みでマリワナを大量に吸っていた。亡くなる数ヶ月前に結婚するが、結婚する前に約10年ぐらい共同生活して、お互いに執筆の批判などをし合う。

 
3.時間の経過を使い、懐かしさをうまく表現している。

この短編の真髄は、メキシコ人が運んでくる絵画に凝縮されている。すなわち、喜び、悲しみ、運命、友情、そして別れである。喜びは夫婦でバラを育てる。悲しみは放射線治療。運命は夫婦になり最後は病気でなくなる。友情はネクタイの結び方を教え、バラの育て方を教え、芝を刈る、別れは夫人は夫を、筆者は愛妻をなくす。

 

心を打った文

あの時は、ともに伴侶がいた(ウッドリフ婦人には夫が、私には妻が)、何もかもあったのだ。

 
構成の面白さ

最初に家具などを運び出す青年、最後でウッドリフさんの息子であることがわかる。

2013年11月1日金曜日

常寒山 吉田知子


芥川賞作家であるが、この短編は読者を混乱させる。小説の大前提である視点が、故意に変えられており、一度読んだだけでは、どういう状況かを把握することは困難。それがいいという読者もいるとは思うが、邪道だ。

病床で寝ている主人公が、夫の明夫とその友達(石田、一平、姪の双子)と山登りをする。山登りの状況が事細かに描かれているので、読者は主人公が夫や友達と一緒に登山をしているのかと思う。私ははじめ、これは主人公が何年か前に皆と山登りをした時のことを回想しているのだと思って読んでいった。最後の方で、主人公が一平を蹴飛ばすところに来て、いったいどういうことだ、と思って頭が混乱した。二度目に読んだ時も、主人公が臨死体験者のように夫について山登りをしているということは気がつかなかった。

効果を狙った短編だが、読者泣かせで、罪な短編だ。この短編はいただけない。

2013年9月12日木曜日

Sensini by Roberto Bolano

  The story consist of two parts: the first describes the relationship between the narrator and Sensini (they gradually become friendlier and friendlier), and the second part describes the meeting with Miranda, Sensini’s daughter.
  Because the reader identifies with the narrator in the first part, they feel what the narrator feels when he meets Miranda. The most important part of the story is the ending. All the things that take place before the last scene are the preparation for the climax. Both the narrator and Miranda look back at Sensini with the same nostalgic feeling.
  The ending “even my voice sounded different” is superb. It reveals that the narrator has affection toward Miranda. The content of his poem for her is about to be realized. His world is shifting only because of her existence besides him. The word ‘different’ has an infinite possibility between the two. The reader can fully enjoy the afterglow.

 

2013年8月8日木曜日

テンペスト シェイクスピア

ミラノ公プロスペロが弟のアントニオに簒奪されるが、妖精エアリエルの魔法を使って、アントニオ、ナポリ王のアロンゾーや家来を懲らしめる。最後はナポリ王の息子ファーディナンドとプロスペローの娘ミランダが結婚する。

ハッピーエンドストーリーで、ハラハラドキドキやスリルがない。復讐劇でもないし、悲劇でもない。強いて言えば喜劇だろう。(キャリバンとトリンクローのやり取りがあるが、そう面白くもない)

どうでも良い台詞が多すぎて冗長、途中で飽きてしまう。話の展開が遅い。残忍さ、裏切り、人間の業、思わぬ展開などが全然ない。生ぬるい湯につかったような、中途半端な話。

恐らく英文で読めば、韻文で素晴らしいのだろう。日本語の訳では、いくら名訳でも(小山田雄志)原文の味が出ない。

2013年8月3日土曜日

変身 カフカ

家族の一員が大病を患い、顔の形が変わり、手足の自由が効かなくなると、家族は一員であることは頭では理解していても、生理的に厄介者として扱うようになり、死んでしまうと厄払いができたと思い、希望の光さえさしてきたと思うようになる。
病人自身は家族ひとりひとりの態度に一喜一憂するのだが、どうしようもなく、ただ衰えていくばかりだ。
恐ろしい話だ。

2013年7月28日日曜日

乞食谷   吉田知子

文体
スマス調とダデアル調が混在しているが、違和感はない。混在文でも良いのか。ユーモアがあり、ところどころ笑ってしまう。

展開
A.主人公(蟹トク子)が頭に浮かぶことをとりとめもなく話していく。だから、よく話が脱線する。しかし、読者を惹きつける工夫がしてあり、釣られて読んでいってしまう。その工夫とは、英語論文のように段落ごとにある導入文だ。たとえば、「わたし蟹と申します。そら笑ったでしょう」「貝の匂い知ってますか」「窓から見える景色の話をしましょう」などだ。

B.3本の柱がある。
(1) 自己紹介。これが全体33ページ中の11ページを占めている。多過ぎるぐらい。この部分は随筆としても成り立つ
(2) 猿方さんとの交際。これがメイン。
(3) 乞食谷の暴力事件。最初は随筆と考えても良い。 3本柱の短編はあまり見かけないが、筆力で読ませてしまう。こういう短編もいいのか。

名前
よく考えて命名してある。主人公の「蟹」と脇役の「猿方」。「葉沢」は竹の葉を連想させる。「美川」は美人。沢と川は蟹の縁語だ。

末尾
最後の「考えもせずに、ただ横ばかり這いずっていた。横だと自覚していれば、まだやりようもあったのだ」はうまい終わり方だ。ひがんで、ねじれて世間を斜視で見ていたカニに喩えた自分をみつめているの。素直になれない、殻に閉じこもっていた自分をみつめている。

作家吉田智子は「蟹トク子」になりきっている。 なかなか味のある短編でした。

吉田 知子(よしだ ともこ、1934年2月6日 - )は、日本の小説家。 夫は詩人の吉良任市。伊勢新聞名古屋支局の記者、浜松市の高校教諭を経て、1963年より、夫である詩人の吉良任市と同人誌『ゴム』にて活動。1966年、『新潮』に「寓話」を発表して文壇デビュー、1970年、「無明長夜」で芥川賞受賞。1985年、『満洲は知らない』で女流文学賞、1992年、短篇「お供え」で川端康成文学賞、1998年、『箱の夫』で泉鏡花文学賞受賞。 2000年、第53回中日文化賞受賞。 ウキペディア

短夜 内田百閒

 怪談もので面白いが、結末が予想通りで吃驚しなかった。なぜか。 内田百間は恐怖ものが得意だから、最後でどんでん返しがあると予想していた。どんでん返しは、住職が狐で、もう一度主人公を化かすことしかない。どっこい、その通り、また主人公は化かされた。ラフカディオ・ハーンの怪談のなかの「耳なし芳一」とそっくりな終わり方をしている。百間はそれを真似たのか。

展開
一つの事件(事象)が起こるが、そのあとにもっと大きな同じような事件(事象)が起こる。この手法は「ジョーズ」、「未知との遭遇」等で使われている。

読者を惹き付ける工夫
出だしが良い。「私は狐のばける所を見届けようと思って、うちを出た」。次に、奇怪な現象を起こしている。すなわち「蛍が一度に消えてしまった」と「鯉は二匹とも消えてしまった」

欠点
始めの13行ぐらいに同じ言葉が何度も繰り返される。「所所」が3回。「向こう」が4回。有名作家になると許されるのだろうか。文体がスムースでなく、ぎこちないところがある。

内田 百間(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名は内田 榮造。迫り来る得体の知れない恐怖感を表現した小説や、独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。ウキペディア

2013年7月20日土曜日

Letters from the Samantha Mark Helprin

  Several long reports written by the captain of the Samantha to the owner of the shipping company constitute the story. The ship comes across a tornado. After it escapes the typhoon, it finds a monkey on board. The animal climbs the mast and stays on top of it. The sailors’ opinions are divided as to whether to shoot the animal or to let it go back to land. The captain climbs the mast. When he looks into the eyes of the monkey, he realizes that some form of communication has been established between him and the animal. The monkey also seems to like him. As a captain he has to obey the rule that no animal should be on board, but as a man he sympathizes with the monkey. In the end, the captain strangulates it and throws it into the sea. Then he says to the sailors, “…I was neither right nor wrong in bringing him [monkey] aboard (though it was indeed incorrect) or in what I later did. We must get on with the ship’s business. He does not stand for a man or men. He stands for nothing. … He came on board, and now he is gone.
   The story was amusing, but did not move me. I didn’t identify myself with neither the captain nor the monkey. The monkey was a tornado. The ship narrowly escapes from the disaster caused by something incomprehensible, something “half sensible.”

2013年7月18日木曜日

牡丹灯籠

新三郎に恋焦がれて死ぬお露と侍女米が幽霊となって新三郎の家に来て逢瀬をするところで、幽霊とわかる下りや、百両もらって伴蔵が御札をはがし、お露とまた逢瀬をした新三郎が変死するあたりは、とても面白い。また、悪銭身に付かずで、伴蔵がお国といい仲になり、妻お峰は嫉妬に狂うが、伴蔵に殺される。このあたりも面白い。
しかし、後半はあまりにも登場人物同士が偶然に遭遇し過ぎであったり、何らかの結びつきがあったりして(飯島が孝助の父の仇/孝助の母は、お国を小さい時から知っていた等)、話が出来すぎている。

三遊亭圓朝の代表作.若林王甘[カン]蔵・酒井昇造によって速記され,和綴じ本として明治17年に出版された大ベストセラー
牡丹灯籠(ぼたん どうろう)は、中国明代の小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』に着想を得て、三遊亭圓朝によって落語の演目として創作された怪談噺である。ウキペディア

2013年7月14日日曜日

考える人 井上靖

木乃伊を訪ねる旅行記。
即身仏になった弘海上人がどういう人であったかを丸根、松谷、白戸、私の4人が想像して、人物像を作り上げる。私一人の想像だけで話を進めては単調であるので、4人に分散させたところがうまい展開である。

ただ、タイトルの考える人が何を考えていたかの掘り下げ方が足りない。また、後悔にしても、何を後悔しているかが具体的に伝わってこない。

井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)56 - 1991年(平成3年)129日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。

網 多岐川恭

登場人物の名前が話を物語っている。
鯉淵丈夫:如何にも水泳がうまい.川の淵に潜んでいて、丈夫な体をしている。 菜村雪夫:草食系。なよなよした地味な、水に溶けそうな男

推理小説は犯人を最後に解き明かすのだが、この小説は犯人も殺される人もはじめから分かっている。最後で鯉淵が逆に菜村をプールに落として溺れさせる。読者の意表をつくエンディングが面白い。

多岐川 恭(たきがわ きょう、1920年- 1994年)は、日本の小説家。本名、松尾 舜吉。福岡県八幡市(現:北九州市)生れ。東京帝国大学経済学部卒。 毎日新聞社に勤務する中で、白家(しらが)太郎の筆名で小説を書く。1958年、『濡れた心』で江戸川乱歩賞、『落ちる』で直木賞を受賞。

2013年6月27日木曜日

THE FISHERMAN FROM CHIHUAHUA by Evan S. Connell

  This is a strange story. It ends without any particular conclusion. Rather it leaves the reader in mystery. Pendleton is a normal man while the Toltec and Damaso are peccentrics. The reader identifies with Pendleton. He fails to know who Damasois. On the other hand, the Toltec seems to be uninterested in Damaso but interested in dancing and playing the nickelodeon.Some interpret that Damaso is Jesus Christ. In conclusion I was not so much moved in reading the book.

2013年6月9日日曜日

The Letter by Barnard Malabud

The contrast between the relation between Newman and his father and the relation between Teddy and  his father Ralph is interesting.

Newman is a normal young man. He does not want to communicate with his father who spend his life in an insane hospital as his words shows: “Do you want to have next Sunday off?”

Teddy is an insane man, but he wants to communicate with his father, also insane, through letters though they are blank.

 An insane man does not want to communicate with his father; while an insane man wants to communicate with his father.

 

The loan by Barnard Malabud


Lieb the baker is an innocent, honest, and easy-to-believe old man. His old friend, Kobotsky is a cunning, bad man.

One day Kobosky visits Lieb to ask him for 200 dollars. Although Lieb has a bitter memory with him because Kobosky has not returned 100 dollars, he forgives Kobosky and tries to lend him the money.

   While Lieb was talking with his wife about the loan, Kobosky “wet his half his handkerchief and held it to his dry eyes.” He even pares his fingernails. He tells he wants the money to build a tombstone for his wife. At which Lieb is moved and wants to lend him money.

  But LIeb’s wife, Bessie, refuses the loan telling Kobosky how miserable a life they have been leading.

  Giving up the scheme, Koboskey leaves Lieb, after Lieb and Kobosky press their mouths.”

  The story reveals as you read it that the three have gone through bitter poverty. As the conjugation “Haben, hatte, gehabt” suggests, both Lieb and Kobosky immigrate from Russia to Germany and then come to live in the United States. They must have spent a happy childhood. Bessie, a jew from Warsaw, went to Germany and then to the United States to marry Lieb. Her brother and his family end their lives in Hitler’s incinerators.

The story makes the reader sympathize with the miserable lives they had to go through. Even Kobosky’s made-up story can’t compete with the true miserable story Bessie tells.

The writer himself is a jew. So he might have condemned Hitler’s atrocity through “The loan.”

 

 

2013年5月31日金曜日

落ちてくる! 伊藤人譽


病室の老婆が、ベッドの上の電灯の傘が落ちてくると心配していると、本当に落ちてきて胸に傘の凹みができる。一方、孫はお婆さんのお金で買ってもらったグローブでボールを空に放り投げて受け取る遊びをする。ボールが「落ちてくる!」ということで、二つの話を結びつけている。
 発想がおもしろいし、結びつけ方が面白い。しかし、疑問に思うのはベッドの上の電気の傘が落ちてきたとき、なぜ老婆の胸が丸く凹んだのか。普通円錐形の傘が落ちてきたら、傘の周りの部分だけ胸に当たって胸は丸い跡が残るだけのはずだが。それとも傘がひっくりがえっており、でっぱている方が下向きになっていたのだろうか。
 
伊藤人譽 1913- 昭和時代の小説家。
大正2年3月21日生まれ。昭和18年「文学界」に登山をテーマにした小説「岩小屋」を発表する。同人誌「小説界」「文学四季」などに参加。戦後の作品に短編集「登山者」「ガールフレンド」,長編小説「猟人」などがある。東京出身。アテネ・フランセ中退。本名は隆幸。

2013年5月22日水曜日

Miracle Polish by Steven Millhauser


The effect of the “Miracle Polish” lures the reader into reading the next page. The protagonist looks more attractive in the polished mirror, and so does his girlfriend, Monica.
  Monica hates the effect. She wants him to look at her real self. Therefore, he destroys all the mirrors in the house one after another like a mad man. But contrary to the reader’s expectation, he is so persistent in asking how she liked the destruction of the mirrors; he asks her, “Are you happy?” He repeats the question again and again to the extent that he is obsessed.
Probably she will lose interest in him. That means: “This is the lucky day” turns out to be “This is the unlucky day.”
  The story ends in the air.

My Oedipus Complex by Frank O’Conner

  This is one of the best short stories I have ever read. The most amazing thing about this story is that the psychology of the protagonist, a five-year-old boy, is precisely described. His battle against his father over his mother is so well written that I identified myself with him (although I don’t think I had such a combatant relationship with my father). Both his father and his mother’s irritation are also described vividly.
  While reading the story, I wondered what would be the ending, but the writer finnished the story by bringing a baby, Sonny, between the boy and his father. Both of them are now hindrance in bringing up the baby. So, in conclusion they come to a truce. They are deprived of the woman they loved by the appearance of the second child.  
  This is a very persuasive ending.
  How imaginative the writer is in revealing the child’s psychology!

2013年4月14日日曜日

むかしばなし 小松左京

 設定が良い。民俗学の大学講師を背景にちらつかせ、最もらしい話に仕立て、最後にどんでん返しで、姉を殺したという事実が突きつけられる。読者は、ここで驚くが、実はこの話は二重のどんでん返しになっていて、「おかね婆さん……」のところで、婆さんのいたずら話ということがわかる。  
 知識階級が婆さんを見下し、まるで珍しい動物を観察しているような講師と大学生達をギャフンと言わせていて、小気味よい。

小松 左京(こまつ さきょう、1931年1月28日 - 2011年7月26日)は、日本の小説家。『復活の日』(1964年)『エスパイ』(1966年) 『日本沈没』(1973年) 『さよならジュピター』(1982年) 『首都消失』(1985年)

冷たい仕事 黒井千次


 タイトルがいい。冷たい仕事とは一体何かと思わせる。日常生活のほんの些細なことがこのような短編になることに驚いたと同時に、作者の観察力に敬服した。始めはしがないサラリーマンの仕事話かと思いきや、一転して、冷蔵庫の製氷機に溜まった霜の山を取り除く作業の話になる。部下の長沢と主人公が午前三時にやっと霜を取り除き終えた時、読者も達成感、成就感を味わうという仕掛けになっている。 名文: 彼はほとんど収穫の歓びに近いものを常に感じた。 彼は思わず後ろ手に冷蔵庫の蓋を締めて立った。 床の上に倒れてみせた。 がさりと音をたてて獣の肋骨を包む肉のような形の氷塊が取れたのは午前三時に近かった。 黒井千次(1932年5月28日 - )は、日本の小説家。本名、長部舜二郎。「内向の世代」の作家の一人と呼ばれる。日本芸術院会員。

2013年3月24日日曜日

牡丹 三島由紀夫

  草田の言ったことの真偽は疑問が残るが、最後にあっという毒をもってある手腕がすごい。人殺し、怨念、復讐、欺き、裏切りのような毒は物語を面白くするワサビのようなものなのであろう。毒で話をくくれば、毒が読者の体内に毒々しく入る。真似る価値のある終わり方だ。

草田のセリフ「大佐が楽しみながら、手づから念入りに殺したのは580人にすぎなかった。しかも君、それがみんな女だよ」は読者(特に男性)の想像力をかきたてる文であるが、580という数字をきちんと覚えている方が頭がおかしいのであって、これも現実味がない。

明と暗の切り替わりをうまく使っている。明では「子供たちが(略)シャツのはみだした小さなズボンのお尻を並べている」や「この洗いたての白さは妙にエロティックだね」など。暗は後半で牡丹の描写場面に現れている。例えば「重たい影を落とし」「孤独に見え」「沈鬱に感じられた」「気味の悪い生々しさ」などで、うまく最後の毒へ持っていく伏線としてある。

復讐 三島由紀夫

 近藤虎雄の秘密を読者に隠しておいて、話の最後に暴露し、読者のテンションを一気に落とすが、治子の言葉「電報なんてあてになりませんわ。きっとあの電報は、生きている玄武が打たせたんです」で、読者の不安を以前以上に煽るという展開はうまい。

 視点にかんしては、導入部から次第に近藤家の内部に入り込み、5人の登場人物の性格を食卓の会話でうまく描写している。最初の部分にある「金属的な神経質な響き帯びて、わざと陽気にしている…」のセリフで読者は釣り上げられる。また八重の言葉「警察に洗いざらひ話せばどんなに虎雄さんの恥になるかも知れないし」によって読者は謎に入り込む。計算づくの展開だ。

 しかし、よく考えると、話が現実味を欠いている。こんなことはありえないが、文章のうまさと展開の妙で読者はまんまと引っかかってしまう。実際、これは変な話だ。だいたい玄武は近藤の家を知っていて、8年間も殺しに来ないということはありえない。山口清一の目を盗んで真夜中とかにいくらでも近藤家に来ることはできるからだ。

 だから、冷静に考えれば、失敗作だ。