2016年7月25日月曜日

日本沈没 小松左京

 1973年(昭和48年)日本がまさに高度経済成長の真っただ中である時に、この本が書かれた。416ページもある大作だ。誰も考えつかないような地球規模的大災害(災害という言葉自体があたらない)が日本を襲い、日本列島は北海道から九州まで全4島が海底に沈んでいく。壮大なスケールで地震学と地球物理学の知識を縦横に駆使して、あたかも本当に日本列島が沈没していくように描かれている。
 
 その描き様とは微細極まりない。  例えば「地殻の平均的な弾性限界から、そこにたくわえられるエネルギーの限界が計算され、それはまた、一回の地震によって放出されるエネルギーの理論的限界値をも導きだすのだ。地殻のある部分だけとって見れば、(中略)地殻部分の一弾性単位に蓄えられ得るエネルギーの理論的限界値――5X10の24乗エルグ、つまりマグニチュード8.6に相当するーーを越えることはないはずだった」というような記述が、これでもかこれでもかと地震の波のように襲ってくる。左京がいかに苦労して日本が沈没する地震学的裏付けに力を砕いたかがわかる。

 しかし、いくら「理論武装」をしても、日本列島のみが沈むということは素人判断ではあるが、ありえない。ありえないことを無理してありえるように描いているから空空しい。フィクションもテリー・ビッスンTerry Bissonの「英国航海中」England Underwayのように読者は初めからありえないことが起こっていることを受け入れて読んでいるから楽しめる。左京はありえないことをいかにもあり得るように読者を説得しようと躍起になっている。結局は白々しくなる。
 
 ただ感心するのは、日本が沈没したら日本民族はどうなるのか。かってのイスラエル民族のように世界の放浪者となってしまうのか。小説では何千万人の日本人が船で飛行機で海外の国々に分散していくが、彼らは現地の民族と溶け合ってついには日本民族の血が消えていくという日本民族、われら日本民族の故郷日本列島をいとおしむ、なんともやるせない気持ちにさせてくれた。 「日本は見えるか」 「いいえ……」 「もう沈んだのかな。……煙も見えないか?」 「なにも見えないわ」 (最後のページより)  なんとも言いようのないさみしさを覚える。
 

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