2016年8月6日土曜日

荒仏師運慶  梓澤 要

  感動や読みごたえがない。運慶が彫った仏像の羅列に過ぎない。話が時系列でどんどん飛んで脈絡がない。注文者が仏像を注文する。注文者の背景を描く。仏像が完成する。また次の注文者が注文して背景を描いて、完成という展開が綿々と続く。快慶との確執にしても中途半端で具体性がなく深く掘り下げていない。また、弟子や子供たちのと仏像や生き方の議論が始まることがあるが、これも女人に話を変えたりして、あたりさわりないエピソードにしてしまっている。このパターンが多すぎる。子供が5人ぐらいできるが本当に5人とも遊女との間にできた子なのかよくわからない。
 もっと仏像師として根幹から深く人間性を掘り下げなければ読者は感動しない。小説としての葛藤が尻切れトンボでいつも肩透かしを食わされる。うわべだけの通り一片の「小説?」だ。
 大体パクリ?が多い。2008年に書かれた「運慶と快慶」西木暉著と同じシーンが出てくる。たとえば初めの部分の結城七郎の登場。また南大門の仁王像を向き合わせるとかへその位置を下げるとか、全く同じだ。 (「仁王像大修理」の説を踏襲している)次に、仁王像についての研究が足らない。吽形像には運慶が作ったという書き込みがないのにこの小説は運慶が彫ったことになっている。そういう小説もあっていいが、抵抗がある。

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