2023年8月10日木曜日

弧愁の岸 杉本苑子

 宝暦治水を扱った大作を読み終えた。

同じ題材を扱った「暴れ川」(原稿用紙60枚)を私は数年前に著し、岐阜県文芸祭賞を受賞しているから、木曽、長良、伊尾の三河川の治水については詳しく知っているつもりであった。しかし、この大作を読み、驚いた。

歴史的事実を徹底的に調べ上げたことが伺える。特に平田靱負が30万両を如何に工面したか、大阪商人との駆け引き、薩摩藩の庶民に課した重税などが詳細が描かれている。恐らく、著者は薩摩藩史や岐阜県史、三重県史を紐解いたのであろう。

江戸幕府の仕打ちに、どう対応するか激しい論議も、くどいほど描かれている。幕府との戦いに完敗する悔しさと、美濃の農民を助ける奉仕の精神との葛藤が、藩士同士の論戦で描かれている。

また、村人や庄屋や郡役人の金儲け主義の汚さも抉り出している。

工事の困難さも詳しい。水の恐ろしさ、村人から町方工事人への切り替えをどう進めるか、靱負の遣り口も詳しい。

多くの犠牲者を出し、責任を取って一人、切腹する平田靱負が哀れである。

薩摩藩士の墓が桑名の海蔵寺(私の父の学友が住職であった。また私の妻の実家の菩提寺でもある)にあるが、大牧村本小屋から船で遺体を桑名にまず運んで、経をあげたのであろう。その後、伏見の菩提寺・大黒寺に埋葬されたのだろう。

どのように杉本苑子が書き上げたか知りたい。近いうちに治水神社に行き、霊に合掌したい。

「弧愁の岸」というタイトルの「弧愁」は「一人物思いに沈む」と言う意味。一人は靱負のことであろう。「岸」は遺体が揖斐川を下る時、左手に油島千間堤を見るが、その岸であろう。

住みなれし里も今さら名残にて 立ちぞわずらふ美濃の大牧 (靱負の遺文)

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