2019年4月25日木曜日

The Death of Ivan Ilyich by Tostoy

Too long a story. Too many repetition of Ilyichi’s agony, fear, and hope.

The story exhausts the readers as much as Ilyichi. At the end of the story Ilyichi seems to become demented. He has lost clear judgement of “right” and “wrong.”

He says, “Where are you, pain?” and “And death? Where is it?” He seems to have overcome the agony, but this may have been caused by his brain’s malfunction.

2019年4月4日木曜日

「ユダヤ鳥」 バーナード・マラマッド

「ユダヤ鳥」は奥の深い短編で、一筋縄ではいかない。単なるユーモア小説と思って読んでいたら、そうではないのだ。最後の一行の「ユダヤ迫害者たちに」というイーディの言葉は、話をひっくり返す。実はコーエンはユダヤ人で、コーエン一家(イーディとモーリー)はユダヤ系米国人だ。それは、47ページで鳥が祈りはじめると、「イーディは頭を垂れ」「モーリーは祈りに合わせて身体を前後に揺らし(祈りの動作)はじめ」ることで分かる。
 なぜユダヤ人であるコーエンはユダヤ鳥を殺したのか。ここで私は頭が混乱した。昨日ネットで調べてみると、「ユダヤ人の反ユダヤ主義者」とか「ユダヤ人を忌み嫌うユダヤ人」がいるという。いわゆる自虐か。ユダヤ人がナチスによって劣等民族と烙印を押されたことで、そう思い込んでいるらしい。ユダヤ人であることが嫌で、嫌いなユダヤ鳥を殺したという訳か。(この辺はユダヤ人が読むと実感するかも)
 ちなみにユダヤ人の名前の由来をネットで調べたら、コーヘン(Cohen)はユダヤ語で「聖職者」という意味で、またシュヴァルツ(Schwartz)は「黒」という意味だ。(作者のマラマッド(Malamed [Malamud?])は「教師」)。
 我々、日本人が外国の本を読むことは、背負っている文化が違うから、きちんと読めないことを痛感した。

暗殺剣虎の眼 藤沢周平

達之介が父の仇と思っていた清宮太四郎は、実は仇でなかった、ということで一つの区切りとなるが、最後の章で、7年後志野が兼光周助の嫁になり、子供もいる。実は、この周助こそが闇討ちができる男で、闇でも物が白昼のように見ることが出来るのである。仇は周助に無限に近い。
しかし、最後に周助を唐突に出すのは取って付け足したよう。大体、達之介が仇とすべきは藩主右京太夫ではないのか。
話の展開と結末に不満が残る。

2019年3月10日日曜日

「奈良の八重桜」 神部眞理子

奈良の八重桜  神部眞理子

仏師運慶の生涯を少年時代から没年までを描いた力作。康慶の業績から運慶の制作した仏像を制作順に依頼の経緯を羅列している。
文章表現はいまいち。運慶の人格描写が浅い。葛藤がうわべだけになっている。快慶の人格も掴みにくい。慶太とか涼快などの名前もピンとこない。源平の争いの史実を差し挟んでどういう時代であったかが分かるようになっていて良いが、詳し過ぎる。
定覚が南大門仁王像を南向きにしなかったことを運慶に詫びているが、その経緯が分からない。仁王門の制作過程が簡単すぎる。
340ページに生涯をまとめ上げるのは大変であるが、うわべをなぞった感じ。誤字が多い(院尊が印尊/院実が印実)
 

2019年2月4日月曜日

凶暴なライオン 阿刀田高

くだらない話。
読者をエンディングまで引っ張っていって、{ネタバレ}男がトランクに入ったままにしておくという終わり方は、ペテンと同じ。だいたい人が入るトランクを男が部屋に置いてある必然性がない。トランクの中に入る入らないの問答も、取ってつけたような問答で、無理がある。consistency一貫性がない。また、直前に昭子が長い髪の女が怖いというが、これも伏線がなく無理に作った話のように響く。あれだけ燃えるような情事を重ねていたから、昭子がトランクを開けるのは当然の成り行きになるはずなのに、閉じ込めたままにしておくといのもcoherence(論理的統一性)に欠ける。

サン・ジュルマン伯考 阿刀田高

期待外れの作品。
伯爵が不老不死の秘薬(エレキシィ)を知っているという話で、どういう秘術かと期待しながら読んでいくと、実は子孫代々その人の遺伝子が生きているという「仕掛け」である。これは秘術でも秘伝でも秘薬でもない。DNAが継続することを、300年も500年も生きているというレトリックは、言葉のごまかしで、いただけない。

2019年2月3日日曜日

A Domestic Dilemma by Carson Mccullers

The description of Martin's phycology is vivid. I can understand how he is tormented by his wife's intoxicated behavior. But I don't see any reason to attempt to kill his wife. He apparently tries to kill her because he forsaw the difficulties his children would face in the future as the writer says, "... his wife was a dissolute woman. Dissoute. And he and his children were bound to a futrue of degradation and slow ruin."
His motivation to kill his wife is not persuasive enough.

The comentator says in the Interpretation section that "If the story is successful, we must be made to feel that Martin and Emily are believable and that their actions and thoughts, including Martin's final shift in feeing  toward his wife, are true to this pair of people would do and think and feel.

A lesson in fiction writing:
The writer should not forcibly bend the natural development of the story to suit to his intention. 筋を無理に曲げない