2024年12月20日金曜日

永平寺風雲録  中嶋繁雄

大垣市船町にある全昌寺を訪れた時、たまたま御住職に会い、その後、手紙で紹介された本。 

大垣藩城代家老・小原鉄心が佐幕か倒幕か迷った時、助言を与えた禅僧・鴻雪爪(おおとりせっそう)を主人公にした歴史小説。

詠み辛かった。

①雪爪が主人公であるのに、歴史の教科書のような著述をしている。

②話が逆戻りして数年前とか数カ月前に遡り、話が混乱する。

③新しい登場人物が出ると、その紹介が綿々と続く。話の流れがどこかに吹っ飛ぶ。

助言を与える場面の文章が分かりにくい。「月落ちて天を離れず」と雪爪は禅問答のような事を言うが、何故この言葉を聞いて鉄心が倒幕側になったかの説明が分かりにくい。著者は「たおれんとする古きもの(幕府)に恋々とするなかれ」と書いているが「天を離れ離れず」の部分が脱落している。


2024年12月8日日曜日

海風 今野敏

 駄作だ。作幕末の尊王攘夷で荒れる日本の行く末を案じる青年、永井尚志の話。幕末の話であるのに全然、雰囲気が出ていない。登場人物の台詞が令和言葉になっている。違和感を覚えた。例えば、以下のような場面がある。これは酷い。

「誰かおるのか?」

 影が障子に映ったのだろう。

 永井は慌てて膝をついてこたえた。①

「目付、永井岩之丞にございます」

「あ、永井? 入ってよ」②

 どうやら阿部伊勢守らしい。

 永井は戸惑った。③

「しかし、は御用部屋には……」④

「ああ、気にしなくていい。誰もいないから」⑤

 そういう問題だろうか。永井はどうしていいかわからない。

① こたえるは「答える」と漢字にすべき ②入ってよ。が女性っぽくて気持ち悪い。③戸惑うは明治時代の造語 ④いないは「おらぬ」に ④私は江戸時代は女性の一人称 ⑤いないを、「おらぬ」に

以上の如く、全てのページで台詞の時代考証をしていない。読む気になれない。

また、永井に岩瀬や堀から手紙が来るが、これは章立てを変えて堀や岩瀬を主人公にすべき.伝聞の伝聞では話にならぬ。勝海舟についても、貶すだけの展開で、勝の台詞が一言もない。

井伊直弼が暗殺される前で終わっているが、ここまで書くなら暗殺の件も書いて終るべき。

とにかく、時代小説の重みがない、ティーン向け小説のようだ。情景描写がほどんどない。

2024年11月4日月曜日

小旋風の夢絃(つむじかぜのむげん)小島環

古代中国の盗掘者の話。

時代考証をしていない言葉 第一章までに現れるもの

稼業、放棄、体感、野心家、盗掘、解放、保証、真逆、高級住宅街、人為的など切りがない。


2024年11月3日日曜日

公方様の通り抜け  西山ガラシャ

軽い気持ちで読める長編。先日、第一章を、本日、残りを全部読んだ。江戸の尾張藩の下屋敷の外山壮に公方様(徳川家斉)が休憩に来るため、主人公の庭師甚平が大活躍する。屋敷奉行の弾蔵は気を揉む小心者で、甚平との対比が面白い。

外山壮を愉快な公園に仕上げるため、作者はいろいろ考えだすが、言って見れば子供騙しのような話。滝の水量が変わる仕組み、お化け屋敷で鬼が現れる。岩戸の扉が自動で開く、小田原に似せた町屋敷など、エンタメ庭園である。

滝のところで大きな仕掛けがあるかと思ったが、何もなく巧く滝が落下した。家斉は愉快に思ったらしいが、その思いが読者に伝わらない。一番の山が、山になっていない。最後の場面で亡霊や狐が出るのは話を混乱させるだけ。著者は読者サービスのつもりで付加えたか。呑助の権之助も死んでしまう。どのように滝の水が落ちるか分からなかっかった。   

最後に噴水の話で、今後の展開を仄めかせている処は良かった。

江戸時代に使われていない言葉、歴史考証をしていない言葉が一杯あった。どれも明治の頃の造語であるのに:

寂寥感 現在地、危機一髪、実物大、却下、設計図、根本的、脳裏、展開、認識など。

話が現代語で書かれているので江戸時代の雰囲気が出ていない。わかさぎ先生の指導を受けているのだろうか。


黒牢城  米澤穂信

 時代物で推理小説仕上げ。五編の短編がそれぞれ独立した推理小説で、どれも牢に入っている黒田官兵衛が謎を解くヒントを城主荒木村重に知らしめる。

第一章 雪夜行燈の、からくりはどこか別の小説で読んだ気がする。庭に行燈があり、それが使われたのではないかと予想し、それが当たったからである。

第二章は犯人が村重であったとは読者をたばかっておる。

第三章は巧く読者を最後まで引っ張っていく。

四章は途中までしか読んでいない。

終章では最後の最後に官兵衛の10カ月にわたる奸計の秘密が解き明かされ、死んだと思っていた松壽丸(後の長政)に会う場面はこの小説のどんでん返しだ。

作家は現代ものを多数書いているが、時代物はこれが初めてかと思われる。それにしても時代背景や、言葉遣いが武士らしく、現代ものの匂いが全くしない。何処で時代物の書き方を身に着けたのであろう

2024年10月23日水曜日

Also, the Cat by Rachel Swirsky, published 2024

The writer is an accomplished author of science fiction and fantasy, having won the Nebula Award twice. Her latest story revolves around the ghosts of three sisters: Irene, Viola, and Rosalee, who continue to harbor deep-seated animosity towards one another even in death.

Unfortunately, the narrative is challenging to follow, filled with complex vocabulary and obscure idioms that I had never encountered before. By the end, each ghost departs from their shared home, with Irene remaining in place, Viola heading east, and Rosalee venturing west.

Irene is portrayed as stubborn, aloof, and sophisticated, looking down on her sisters and refusing to cooperate with them. I struggled to grasp the writer’s intention behind crafting such an eccentric ghost story; it felt unrealistic and lacking in excitement. I found it difficult to connect with any of the characters, and my interest waned with each page. Reading became a chore, and I lost count of how many times I had to consult a dictionary. Thankfully, I finally managed to finish the story.

Some of the bewildering phrases and words included: "the double-barreled jumping jiminetty," "wherewithat," "soul of a particularly stupid technothriller," and "the cat had napped" (which I assume meant "kidnapped?"), as well as "throw her ambitions out with the bathwater."

2024年10月18日金曜日

最後の胡弓弾き 新美南吉

時の流れとは残酷なものだと読者に語っている。

胡弓弾きの木之助は少年の頃から老人になるまで正月には門附けに行き、一銭貰っていた。年を取ると相棒の松次郎は鼓を打つのを止めた。時代が変わり、村人は正月になっても胡弓の門附けを聞かなくなった。

木之助は、それでも聞いてくれる人を廻るのだが、追い払われる始末。親の不幸とか自分の感冒で二年間行けなくなった。翌年、いつも親切に聞いてくれた味噌溜屋の主人だけは、必ず待っていてくれると思った。それで、病気にも拘らず、味噌溜屋を訪れる。が、「味噌溜」看板が変わり、「味噌醤油製造販売」となっていた。聞けば主人が亡くなり、息子が跡取りとなっていた。落胆していると、昔、味噌溜屋で働いていた女中に会い、仏壇の前で胡弓を弾く。

この場面は泣かされる。時代の移り変わりを木之助は胡弓を弾くたびに感じただろう。帰りに「もう胡弓時代は終わった」と胡弓を古物屋に安く売ってしまう。売ってから「しまった。長年の連れ合いを手放すとは」と後悔し、古物屋に買い戻しに行く。ところが、売った値段の二倍に値上がりし、60銭になっていた。金がなくて買い戻されず、木之助は帰路に着く。

「そして力なく古物屋を出た。午後の三時頃だった。また空は曇り、町は冷えて来た。足の先の凍えが急に身に沁みた。木之助は右も左も見ず、深くかがみこんで歩いていった」

新美南吉の文章は柔らかく、分かりやすく、情景や心情がひしひしと伝わって来る。哀れな木之助に同情した。何も難しい言葉を並べる必要はない。