家重の言葉が不明瞭のように、この本の正体が不明瞭。
まず、主人公が誰か分からない(感情移入ができない)。主人公は、家重か、越前守か、意次か、お幸か、忠光か。
次に、時代考証が欠落。例えば、比宮が没してからもお幸は尼にもならず、京にも帰らない。三年後に家重の側室になる。これはあり得ないだろう。また、家重が自分のことを「私」と言っている。『日本国語大辞典』よれば、「私」は、「近世においては、女性が多く用い、ことに武家階級の男性は用いなかった」とある。さらに、「家重が将軍を宣下した」は「宣下」の誤用法である。
第三に、話しの辻褄が合わなくない。例えば、家重が「忠光を遠ざけるくらいなら、私は将軍を……」と言うのを、10歳の家治が「忠光を遠ざけよう。権臣にするくらいなら。私は将軍ゆえ」と解釈するが、忠光の言葉と家治の言葉が合致していない。
第四、平田靱負の自刃に触れる場面があるが、幕府の重役は靱負の苦悩を表面的にしか描いていない。
最後に、致命的な欠陥。読者は忠光の心が、どのようであったか知りたいのに、忠光の心理描写が欠落。忠光は通訳しながら、どのように考えていたのか、一言も触れていない。忠光の心の葛藤が知りたい。表面で、なぞってあるだけで、これも「ないないつぶろ」であった。
発音
"わたし【私】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2025-07-19)
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