2012年1月9日月曜日

DH ローレンス 「盲目の男」

1.「盲目の男」のテーマは、DHローレンス著「チャタレー夫人の恋人」のテーマとよく似ています。チャタレー夫人は、夫が性的不能者であることから、番人メラーズと肉体関係を結びます。そのテーマは、人間は理性(頭脳)だけで生きていくことはできない。肉体的欲求(感情)の充足も不可欠であるということです。「盲目の男」でも、頭脳と感情の微妙な関係が描かれていると思います。 2.二つの作品が同じテーマを扱っている点を指摘する前に、翻訳上のミスを指摘したいと思います。 276ページ、6行目「それは彼[モーリス]の心が(中略)のろかったからである。彼は自分のこの心ののろさにたいし、感情が鋭敏で激しかっただけに、ひどく傷つきやすかった。だからバーティーとはまったく正反対で、バーティーの方は、心が感情よりもずっと鋭く、感情はそれほど繊細ではなかった」の部分です。翻訳では、モーリスは「心がのろい」と訳されていますが、「心がのろい」という訳は変です。原文ではhis mind was slow. となっています。mindは「心」と「頭脳」の両方の意味があります。この場合、のろいのは心でなくて頭の回転です。即ち、モーリスは頭の回転がのろかったが、感情は豊かだったと、ローレンスは書いているのです。  次に、バーティーの方は「心が感情よりもずっと鋭く」と訳してありますが、「心が鋭い」という訳も変です。原文は…whose mind was much quicker than his emotionsとあります。要するにバーティーのmindはquick(頭の回転が速かった)わけです。 だから正しい訳は「それは彼[モーリス]の頭の回転が(中略)のろかったからである。彼は自分のこの頭脳ののろさにたいし、感情が鋭敏で激しかっただけに、ひどく傷つきやすかった。だからバーティーとはまったく正反対で、バーティーの方は、頭脳明晰で感情はそれほど繊細ではなかった」となります。 3.以上のように考えると、モーリスは知的人間というより、感情の豊かな人間で、バーティーは逆に感情的というより知的人間ということになります。だから、バーティーの職業は頭の切れを要する弁護士で、「女性に肉体的に迫ることができない」性的不能者(感情を発露出来ない人)という設定にしてあると思います。 一方、モーリスは頭ではなく自分の手で触れて感触的、本能的にものを理解するタイプに設定してあります。 4.この頭脳的人間と感情的人間を結びつけているのがイザベルです。 5.最後にモーリスがバーティーの顔や身体を触りますが、触られたためバーティーの殻、即ち頭で物事を理解する姿勢が崩壊するのです。これによりバーティーは軟体動物、すなわち感情も兼ね備えた赤裸々な人間になったことを示唆していると思います。 6.最後にDH.ローレンスはホモセクシュアルであったとも、また16歳の頃数人の女の子に猛烈に言い寄られて病気になり肺炎になったと、ある文献にあります。モーリスがバーティーの肉体を触るのは著者のホモセクシュアルの現れであり、またバーティーに関して「女性たちが彼の方へ働きかけてきそうになると、彼は身を引いて彼女たちを嫌悪した」という女性嫌いは、自分の体験を書いているのかもしれません。

1 件のコメント:

  1. レイモンド・カーヴァーの『盲人』という作品がロレンスのこの作品を元に書いている、という記述を読んでロレンス版を読んでみたくて、このサイトを見つけました。私自身はカーヴァーの『盲人』をかなり気に入っていますが、ロレンスを越えないとハ・ジンという華人作家が言っていたのです。

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