2015年11月22日日曜日

母子像 久生十蘭

少年の母を極端に美化する心と母を豚以下の畜生とみなすギャップにより死を選ぶ太郎を描いた

時系列と人物が分かりにくい。 回想が入り込んできてどこが現在でどこが過去かわかりづらい。 担任教師がヨハネというあだ名の教師なのかもわかりづらい。 ベッドの下に潜り込んだ時の言葉「あれをするとき」とあるが「あれ」を知っていたとは思われない。 この短編は設定と技巧が出来すぎ。そのため極端な設定がある

設定
1.母子像というタイトル。母の崇高な美しさ
2.「母の顔を見てこの世にこんな美しい人がいるものだろうかと考えた。この人に愛されたい、好かれたい、嫌われたくない」という思い セックスの現場を見て「汚い、汚すぎる、人間というものは、あれをするとき、あんな声を出すものだろうか」豚以下だ。
3.太郎は子供時代宣教師に預けられた
4.担任が聖ジョセフ中学のヨセフと言うあだ名の担任。
 

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