2016年1月4日月曜日

押絵の奇蹟 夢野久作

トシ子の語り口と展開が抜群に上手く、読者をどんどん引き込んでいく筆力は天才的。読者を謎に次ぐ謎に落とし込んで、小出しに謎の答えを出していく手法も見事。読者は最後まで読まされる羽目になる。

しかし、この話は、中途半端でどこかおかしい。うっかりすると、読者はトシ子の母が半次郎の父と肉体関係を結ばないのにトシ子が生まれた様な錯覚に陥いってしまうが、それは現代医学ではバカバカしい話だ。すなわち、妊婦がある男に思い焦がれていると、その男に似た子供が生まれるということを、ギリシャとスコットランドの例を挙げて、いかにも信憑性があるように見せかけ、訳者注などをつけるという念の入れようだが、現代医学から見れば、これは全くのでたらめだ。したがって、この物語は土台から崩れる。ただ、明治の読者は、作者にだまされたことに気がつかずに、この物語を大いに堪能したことだろう。

次に、この話が中途半端なのは、なぜ半次郎がトシ子のピアノ演奏会に来たり、病室に来て「君は僕の妻だ」などと言うのかの理由が書いてないこと。作者はこのような半次郎の思わせぶりな言動によって、読者を錯乱させているが、その尻拭いはしていない。いわば半殺しの話だ。

最後に、矛盾点を一つ。トシ子は自分の顔を鏡で見て、母親に似ていることに気がついて、びっくりするが、トシ子は半次郎の父親に似ていたはず。母親に似ているのなら、この話は成立しない。

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