2022年8月7日日曜日

羅城門に啼く 松下隆一

 京都文学賞受賞作ということで読んだ。受賞しただけの読ませる力がある。

オレが主人公の一人称小説。そのため主人公を取り巻く状況描写が制限され、またオレの文筆力のレベルに合わせたのか、文章が稚拙。軽いタッチの文が多く重みがない。

展開は巧い。極悪人のオレは悪行を重ねるが、空也上人に会い、なみあむだぶつを唱える殊勝な男に変わる。上人の生き方や信ずるところが描かれているが、今一つ足らない。オレはある娘の両親を殺しており、後にその娘と穴倉で暮らすようになる。最後の場面で親殺しがばれるが、娘の出産を助け、赤子を無事取り出す。が、母は死ぬ。

ドラマチックな構成だが、作為的な匂いがプンプンする。わざとそう言う状況を設定したということが見えてしまう。

若いころの悪行が天罰となったような因果応報型エンディング。すとんと落ちるような感動がない。

2022年8月2日火曜日

金閣寺 三島由紀夫

  金閣寺を放火した学僧が放火に至るまでのの心の動きを微細に記した一人称小説。

 学僧の心理を描くのにこれ以上難解な表現はないというぐらい難解な文章が連なっている。あたかも、読者を寄せ付けないような書き方である。三島さえよければ読者は置いてきぼりでもよいというような強引な文章表現である。

 特に、柏木という学僧との対話は理解しにくい。柏木が何を言っているのか、それを放火僧はどう解釈しているのかが、きちんと呑み込めない。あまりにも哲学的である。

 最終段階で金閣寺の美についての三島論も、論理的、哲学的、抽象的、数学的に述べられている。漱清の役割も、もってつけくわえた理窟「漱清をつたわってふたたび池の上へ、無限の官能のたゆたいの中へ、その故郷へと、遁れ去ってゆくほかはなかったのだ」と描写している。単なる魚釣りのための出っ張りを、なぜこうも分かりにくく描写するのか。

 なぜ放火僧が放火するに至ったのかは解らない。柏木の論理に犯されたのか、老僧に対する憎しみのためか、自らが吃であるからか。女と交わるときに金閣寺の画像が頭に入り込んで行為を遮断するという展開も分からない。

 評論家は難解ゆえに高く評価するであろう。

 放火僧に感情移入ができない。すとんと心に落ちない。生殺しの作だ。水上勉の「金閣炎上」の方が、金閣を燃やすに至った学僧の心理状態を克明に無理なく描いており、納得できる。水上の作の方が三島のより格段に良い。三島は題材をひねくり回しすぎだ。