2022年8月2日火曜日

金閣寺 三島由紀夫

  金閣寺を放火した学僧が放火に至るまでのの心の動きを微細に記した一人称小説。

 学僧の心理を描くのにこれ以上難解な表現はないというぐらい難解な文章が連なっている。あたかも、読者を寄せ付けないような書き方である。三島さえよければ読者は置いてきぼりでもよいというような強引な文章表現である。

 特に、柏木という学僧との対話は理解しにくい。柏木が何を言っているのか、それを放火僧はどう解釈しているのかが、きちんと呑み込めない。あまりにも哲学的である。

 最終段階で金閣寺の美についての三島論も、論理的、哲学的、抽象的、数学的に述べられている。漱清の役割も、もってつけくわえた理窟「漱清をつたわってふたたび池の上へ、無限の官能のたゆたいの中へ、その故郷へと、遁れ去ってゆくほかはなかったのだ」と描写している。単なる魚釣りのための出っ張りを、なぜこうも分かりにくく描写するのか。

 なぜ放火僧が放火するに至ったのかは解らない。柏木の論理に犯されたのか、老僧に対する憎しみのためか、自らが吃であるからか。女と交わるときに金閣寺の画像が頭に入り込んで行為を遮断するという展開も分からない。

 評論家は難解ゆえに高く評価するであろう。

 放火僧に感情移入ができない。すとんと心に落ちない。生殺しの作だ。水上勉の「金閣炎上」の方が、金閣を燃やすに至った学僧の心理状態を克明に無理なく描いており、納得できる。水上の作の方が三島のより格段に良い。三島は題材をひねくり回しすぎだ。

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