杉本苑子の大作二冊目『滝沢馬琴』を読了。『弧愁の岸』に劣らぬ描写と史料蒐集に感嘆す。
馬琴が頼みとしていた、まだ目が見えていた片目が失明する処から話が始まり、82歳で没するまでが事細かに描かれている。27年間掛けて書き上げた『南総里見八犬伝』も、我々現代人が手に取れば、艱難辛苦をなめなめ書き上げたと思えないのだが、実のところ、相当な苦労の中で書き上げたものだ。律儀な長男宗伯を若くして亡くし、妻のお百は自分の都合だけを考え、著作には全く理解を示さない、長女お幸の夫、清右衛門も死去するし、妹お秀の子和助とお加乃の心中、跡取りの孫の太郎は病弱で跡取りの自覚が足りない。板元や同業者の足の引っ張り合い、改作、偽作など、一日たりとも平安に著作した日はないほどだ。なかでも、興味深く読んだのは完全に失明してから、代筆を四人ぐらい使ったが、どれもこれも代筆が馬琴の思うようにできない。最後に嫁のお路が「わたしが遣ります」と申し出るに至り、無学のお路に文字を教え、漢字を教え、一字一字著述していく姿は何としてでも『八犬伝』を書き上げるという意欲が現れていた。
完成した暁の馬琴とお路の喜びは例えようもなかっただろう。
お路も代筆をしている間に、文を書くことを覚え、最後のページで達意の候文を書いている。これも感心した。
それにしても、杉本苑子はどのようにして『滝沢馬琴』を書いたのだろうか。馬琴は日記をつけており、全五冊の日記集がある。三巻まで見たが、三巻目までは宗伯が生きていた。四巻と五巻に失明以降のことが書かれているのであろう。馬琴は日記のほかに全七巻ほどある『馬琴書簡集』なるものを遺した。杉本氏は紐解いた解いたのであろう。
日経新聞の小説で朝井まかて著『秘密の花壇』という馬琴を扱った小説を読んだが、お路に対する態度が、杉本氏の作品の方が寛容さが表れていた。日記と書簡と朝井作と杉本作を読み比べると面白いだろう。
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