2009年12月25日金曜日
松本清張 「地方紙を買う女」
話はよくできていると思うが不自然な個所が6か所ある。
1.女は新聞を購入するために連載「小説が面白そうですから」と理由をつける。新聞を購読するのにいちいち理由をつける人はまずいないであろう。これは伏線だからしょうがないが、わざとらしい。殺人をした後の心理から、何かもっともらしい理由をつけなければならないと思ったと清張は書いているが、これでは読者は納得しない。
2.同じく新聞の購読を止めるのに「小説が面白くなくなった」とまた理由をつけている。これも不自然。清張は自ら不自然だと言うことに気が付き、女に「あんなこと書かなければよかった」と言わせている。新聞購読を止めるのにいちいち理由をかく人はいないだろう。
3.最大の欠陥は作家と女が初対面で会った時、当然のことながら作家は小説の中身について女と話をするはずだ。(たとえ小説がつまらなくなったと言うことを伏せておいても。)三流作家ならなおさら自分の小説のどこが面白いか知りたいはずだ。ところが清張はそこは触れずにさらりと流して茶封筒を忘れる場面に移っている。わざと「試す」ためなら何も茶封筒という小道具を持ち出すまでもない。小説の中身、例えば、主人公の○○についてどう思うか。あの場面はどう思うか」と聞けば、女は答えられないから、「試す」ことになる。茶封筒の話になる前に一言二言小説の中身に関する話題があって当然だ。
4.最後の手紙の中で、女は毒ジュースを飲んで自殺することになるが、自殺をするだけの理由がない。読者はなぜ自殺するのか納得できない。寿司に毒が入っていなかったのだから、犯人と確定できない。作家の勘違いと言うことになり、女は無罪放免だ。作家は推理が間違ったということになる。それをわざわざ「私の犯罪はあなたの仰った通りです」と白状することはない。二人人間を殺した女がそのような気の弱くなるのは不自然だ。
5.警備員を殺した理由が万引女にされ、身体や金銭を欲しがったため、となっているが、普通に考えて、それだけの被害があれば警察に行くはずだ。行かなくて殺すと言うのはそれだけ読者を納得させる理由をかくべきだ。女が警察沙汰になってはまずい過去があるとか。
6.作家は女の言うように別の女を誘って三人で伊豆にいくが、別の女は、こんなに素直についてくるだろうか。男一人に女二人の旅行は親しいあいだがらならともかく女性が初対面同士であるのに、旅行の話に乗ってくる女はまずないだろう。清張もそこは分かっていて、「理由は特に打ち明けなかった」とか、「この先生なら安心だと見縊った」と書いている。見縊る前になぜ三人で行くのか疑問に思うのが当然だろう。
2009年12月24日木曜日
山崎豊子 「白い巨塔」
医学に関しては素人である山崎豊子が、専門の医師かと思わせるぐらいの筆致で癌及びその手術を描いている。作者によれば、財前なら財前の手術の仕方があり、それを描いたと言っている。舌を巻く。法廷場面も同様である。弁護士による質問、被告人や原告の答え方、裁判官の言葉使い、対質、控訴等、これも訴訟の専門家が小説を書いたと思わせるぐらいの筆力がある。
医事に関する小説を書いた場合、専門の医師が読めば、たちどころにその小説が現実に即していないかどうかはすぐに暴かれる。「白い巨塔」が広く読まれ、映画にもなったのは、そこに描かれている癌治療の場面を癌専門の医者が読んでも耐えられるように描かれているからである。法廷の場面も、一弁護士が読んで偽物か本物かは一目瞭然でわかる。この小説は内容の専門性が専門家の目に適っているということで、そこに至る作者の取材は熾烈を極めたと思われる。
「山崎豊子 自作を語る」によれば、取材に関しても、弁護士や癌専門医に徹底的に質問し、テープレコーダに取り、医学用語を勉強したそうだ。控訴を扱った続編では4人の癌専門医師に財前側と佐々木側に分かれて一審を覆す方法を議論してもらい、録音したものを起こしたそうだ。最後の判決文も、まず自分で書き、裁判官に直してもらい、それをまた読者用に直したと言う。
次に特筆すべきは、登場人物の会話の部分である。会話を発している人物の心理描写を的確に言い表している。例えば「と、相手の心を見透かしたように」とか「と、怒る感情を無理に抑えたように」と言う表現だ。一般に読者が会話の部分を読む場合は、コンテキストから会話の音調を想像するのだが、山崎の会話はどのような感情をこめて言ったかが、いちいち添えてあるから、会話が生きており、読者の頭にじかに入ってくる。
人物描写も優れている。「太い唇で肉感的な体つき」とか「青白く、頬骨が出っ張っている内気な」とかいう簡潔な描写でその登場人物の人となりをズバリ読者に伝えている。人物が読者の目の前に現われるように読めるのは、このためである。
情景描写も読んでいて、その情景が目の前に映るような書き方をしている。一字一句に無駄がない。一つの情景描写文を読んでいくうちに、使われた言葉が情景を的確に表し、読者はごく自然にその世界に入っていくことができる。今、松本清張を読んでいるが、清張の情景描写はごつごつしていて、少しも情景が頭の中にイメージできないような、取ってつけたような描写になっている。山崎の文は滑らかで、最後の一字まで情景描写表現を愉しんで読むことができる。文が巧いとはこのことを言うのだろう。
さらに、人物の命名の仕方が面白い。名は体を表すが、財力と名声を追いかける人物を財前、研究一筋に生きる世俗慾に惑わされない人物を里見としているのは考えて命名したと思われる。
テーマは社会正義派の筋を通したものだ。教授選挙の裏での画策、誤診裁判での圧力と横やり、学術会員に当選するための裏工作。このようなことが実際世の中にはありうると思わせる力強さがある。さらに醍醐味は、一審で財前が勝訴するが、二審で敗訴する。山崎によると「白い巨塔」は財前の勝訴で完結したのだが、多くの読者の抗議と社会的影響を取り入れ「続・白い巨塔」を書いたそうだ。いったん勝訴した小説を敗訴に持ち込む続編には相当の専門的な取材なしではできない。読者(医者、弁護士を含む)に納得のゆくプロットにするには並大抵の努力ではすまなかったと思われる。
最後にあれほど権力と名声を求めた財前も皮肉なことに末期癌で死んで行くが、著者は財前の医師としての最後の解剖所見を最終場面に持ってきて、財前に医師としての尊厳を最後に与えて、後味の良い終わり方にしている。
あえて「白い巨塔」の欠点を言えば、読者に事の成り行きを易しく解説するために会話をさせているな、と思わせる会話が多々あるが、これはいたしかたないことだ。
久しぶりにいい作品を読んだ。
2009年12月23日水曜日
松本清張 「顔」
問題点
車窓で見た犯人の横顔が話の味噌になっていて、面白いとは思うが、実際人の横顔を見る場合は、その人の正面からの顔も記憶に残るはずだ。
石岡は料理屋で井野と偶然相席になった時、井野の顔を認識しなかったのはおかしいのではないか。特に井野は奇異な顔と言うことを作者は何度も「顔」の中で指摘しているだけに、相席になった時、井野を認識しなかったという設定には無理がある。それが映画の中で井野の横顔がスクリーンに映って気がつくと言う点はどうも合点がいかない。
2009年12月11日金曜日
Stephen King “Premium Harmony”
Premium Harmony is a cigarette brand name. The protagonist, Ray, is fond of smoking, which his wife detests. She likes a dog named Jack Russell, but Ray are not so much interested in the dog. One day, Ray and his wife argue over Ray’s smoking while driving to a supermarket, the Quick-Pit with the dog. They arrive at the market and she goes out to buy a ball for her niece, leaving Ray and the dog in the car. After a while, a sales woman comes to Ray reporting that his wife has died of a heart attack. Ray rashes to the scene and finds his wife dead. After coming back to his car, free from self-consciousness of playing the role of a tragedy hero in the supermarket, he returns to his car only to find the dog dead. He drives to the hospital smoking.
Sephen King presented a sad story of the wife’s death in a twisted and humorous way. A quarrel over smoking, her sudden death followed by her pet dog’s death, and his joyous and contented way of smoking. King depicted irresistible attachment to one’s likings even at a time of tragedy. The reader understands his feelings when he begins smoking after he came to himself in his car, free from self-consciousness. On one hand he is sad, but on the other he is satisfied with the situation where no one protests his smoking.
The development of the story is good with a persuasive ending. His vivid description of each scene such as “There are little bits of coconut caught in his whiskers” reminds me of that of Charles Dickens. He also skillfully writes most of the story in the present tense, which is said to be difficult for ordinary writers.
In one of King’s book on writing, he said that he was using “The Bridges of Madison County,” a 1992 best-selling novel by Robert James Waller, as a bad writing example in his novel writing class. How confident he is!
登録:
投稿 (Atom)