2009年12月24日木曜日
山崎豊子 「白い巨塔」
医学に関しては素人である山崎豊子が、専門の医師かと思わせるぐらいの筆致で癌及びその手術を描いている。作者によれば、財前なら財前の手術の仕方があり、それを描いたと言っている。舌を巻く。法廷場面も同様である。弁護士による質問、被告人や原告の答え方、裁判官の言葉使い、対質、控訴等、これも訴訟の専門家が小説を書いたと思わせるぐらいの筆力がある。
医事に関する小説を書いた場合、専門の医師が読めば、たちどころにその小説が現実に即していないかどうかはすぐに暴かれる。「白い巨塔」が広く読まれ、映画にもなったのは、そこに描かれている癌治療の場面を癌専門の医者が読んでも耐えられるように描かれているからである。法廷の場面も、一弁護士が読んで偽物か本物かは一目瞭然でわかる。この小説は内容の専門性が専門家の目に適っているということで、そこに至る作者の取材は熾烈を極めたと思われる。
「山崎豊子 自作を語る」によれば、取材に関しても、弁護士や癌専門医に徹底的に質問し、テープレコーダに取り、医学用語を勉強したそうだ。控訴を扱った続編では4人の癌専門医師に財前側と佐々木側に分かれて一審を覆す方法を議論してもらい、録音したものを起こしたそうだ。最後の判決文も、まず自分で書き、裁判官に直してもらい、それをまた読者用に直したと言う。
次に特筆すべきは、登場人物の会話の部分である。会話を発している人物の心理描写を的確に言い表している。例えば「と、相手の心を見透かしたように」とか「と、怒る感情を無理に抑えたように」と言う表現だ。一般に読者が会話の部分を読む場合は、コンテキストから会話の音調を想像するのだが、山崎の会話はどのような感情をこめて言ったかが、いちいち添えてあるから、会話が生きており、読者の頭にじかに入ってくる。
人物描写も優れている。「太い唇で肉感的な体つき」とか「青白く、頬骨が出っ張っている内気な」とかいう簡潔な描写でその登場人物の人となりをズバリ読者に伝えている。人物が読者の目の前に現われるように読めるのは、このためである。
情景描写も読んでいて、その情景が目の前に映るような書き方をしている。一字一句に無駄がない。一つの情景描写文を読んでいくうちに、使われた言葉が情景を的確に表し、読者はごく自然にその世界に入っていくことができる。今、松本清張を読んでいるが、清張の情景描写はごつごつしていて、少しも情景が頭の中にイメージできないような、取ってつけたような描写になっている。山崎の文は滑らかで、最後の一字まで情景描写表現を愉しんで読むことができる。文が巧いとはこのことを言うのだろう。
さらに、人物の命名の仕方が面白い。名は体を表すが、財力と名声を追いかける人物を財前、研究一筋に生きる世俗慾に惑わされない人物を里見としているのは考えて命名したと思われる。
テーマは社会正義派の筋を通したものだ。教授選挙の裏での画策、誤診裁判での圧力と横やり、学術会員に当選するための裏工作。このようなことが実際世の中にはありうると思わせる力強さがある。さらに醍醐味は、一審で財前が勝訴するが、二審で敗訴する。山崎によると「白い巨塔」は財前の勝訴で完結したのだが、多くの読者の抗議と社会的影響を取り入れ「続・白い巨塔」を書いたそうだ。いったん勝訴した小説を敗訴に持ち込む続編には相当の専門的な取材なしではできない。読者(医者、弁護士を含む)に納得のゆくプロットにするには並大抵の努力ではすまなかったと思われる。
最後にあれほど権力と名声を求めた財前も皮肉なことに末期癌で死んで行くが、著者は財前の医師としての最後の解剖所見を最終場面に持ってきて、財前に医師としての尊厳を最後に与えて、後味の良い終わり方にしている。
あえて「白い巨塔」の欠点を言えば、読者に事の成り行きを易しく解説するために会話をさせているな、と思わせる会話が多々あるが、これはいたしかたないことだ。
久しぶりにいい作品を読んだ。
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