よくできた話。作者は浄瑠璃のことにくわしい。専助が近松半二の娘、おきみを世に出すため、柳太郎(近松やなぎ)に肩入れする。その心意気がうまく描かれている。「彫刻左小刀」は実際にあった浄瑠璃で、専助添削、柳太郎作だ。作者がこのことを小説にしたのだが、その才能が素晴らしい。大阪弁もいっぱい出ていて上方の雰囲気が出ている。
最後専助は楽しい浄瑠璃極楽を夢見つつ死んでいき、おきみ(近松加作)が大成するかどうかは、語ってない。そこが余韻というところか。
おもしろかった。
2009年10月から私が読んだ本の中の主だったものの読書感想文です。ご意見ご感想をください。
よくできた話。作者は浄瑠璃のことにくわしい。専助が近松半二の娘、おきみを世に出すため、柳太郎(近松やなぎ)に肩入れする。その心意気がうまく描かれている。「彫刻左小刀」は実際にあった浄瑠璃で、専助添削、柳太郎作だ。作者がこのことを小説にしたのだが、その才能が素晴らしい。大阪弁もいっぱい出ていて上方の雰囲気が出ている。
最後専助は楽しい浄瑠璃極楽を夢見つつ死んでいき、おきみ(近松加作)が大成するかどうかは、語ってない。そこが余韻というところか。
おもしろかった。
江戸摺師の娘、お彩が呉服屋の色彩見立てアドバイザーになる話。色盲のため赤と緑が同じに見える武家をうまく材料にしている。
そこに、目の見えない元摺師の父親、呉服屋の次男、手代、許嫁などを登場させて、一編のの話に仕立てている。最後は、呉服屋の色の見極め役になるのかならないのか、はっきりしないところで、余韻をもっている。
時代物を描くときの参考になった。
膝を払い立ち上がる 間口10間はあろうという大店の前にたどり着いた。板戸を取り払った店内は、大いに賑わっている。奉公人は忙しく動き回り、広々とした座敷では、多くの客が反物を物色中である。お彩のように古着を着ている者はいない。ぐっと眉を寄せる それぞれの仕事をしつつも聞き耳を立てるこれは本気だ 「でもーー」と呟き、視線をさまよわす 噂になってます 仰天して仰向けに反った 様子を見守っていた他の手代 足を濯ぐ 足を拭う しばらく黙々と箸を動かしていた辰五郎が、ふいに思い出したように呟いた。沢庵をぽりぽりと齧りながら、先を続ける 余りの剣幕に、お彩は口の中のものをごくりと音を立てて飲み込んだ 肝心要の外堀はすでに埋められて
西南の役の前線に出て武功をあげようとした17歳の少年隊長の話。西南の役の戦いの場面のエピソードが色々あるが、戦況についての説明が長く、途中で退屈してしまう。
江戸時代から明治に移り変わる激動期、西南戦争において武功を挙げんと意気揚々と東京から熊本まで出かけた、元剣道場の跡取りの志方錬一郎は、戦場で戦い方が、剣から銃に替ってしまい、やあやあ我こそはの戦が、射撃一発で瞬時に終わる戦いとなってしまった。武功を挙げるどころではない。17歳の遊撃隊長として西南戦争にはせ参じた錬一郎も、あれから60年たち、77歳になり、東京に出て勉強して、今では大阪の父の道場の後に、書院を経営し隠退する。この60年間に世の中がまるっきり変わり昔を懐かしく感傷に浸る錬一郎であった。
戦の場面が詳しく書かれているが、同じようなことばかりで、読んでいて飽きてしまう。戦地で酒を呑むとか女を買うとか賭博するとか、エピソードいろいろあるが、読むのがつまらなくなるところもあったが、最後の章で、なんとか挽回したよう。最後の感傷場面がなければ松本清張文学賞を受賞していなかったろう。