五位という男が「芋粥」を腹いっぱい食べたいと願っていたが、利仁によって、敦賀まで連れて来られて、そこで山のように積まれた芋を見てうんざりし、食べたい気がなくなるが、無理して食べる。
利仁は五位をあざけるために敦賀に連れていったのか、芋粥をご馳走しようとして連れていたのか。???
芥川龍之介の「芋粥」読んだが、中身は今昔と同じ、「鼻」のように最後のひねりもない。ただ、中身を薄く引き伸ばした感じで、創作の跡が見られない。結末は今昔のほうがいい。
2009年10月から私が読んだ本の中の主だったものの読書感想文です。ご意見ご感想をください。
五位という男が「芋粥」を腹いっぱい食べたいと願っていたが、利仁によって、敦賀まで連れて来られて、そこで山のように積まれた芋を見てうんざりし、食べたい気がなくなるが、無理して食べる。
利仁は五位をあざけるために敦賀に連れていったのか、芋粥をご馳走しようとして連れていたのか。???
芥川龍之介の「芋粥」読んだが、中身は今昔と同じ、「鼻」のように最後のひねりもない。ただ、中身を薄く引き伸ばした感じで、創作の跡が見られない。結末は今昔のほうがいい。
ネタバレ
北斎の師匠・狩野融川は、描いた絵を、豊後守に「砂子が淡い。描き直せ」と言われ、「描き直すつもりはない」と突っぱね、絵に命を懸けた。北斎は、豊後守を怨んで自刃した師匠の仇を絵筆一本で討つ。北斎の「駕籠幽霊」を見た豊後は卒倒する。
原稿用紙40枚ぐらいの作品。フィクションとはいえ、面白い展開が読者を引き付ける。
「駕籠幽霊」は国枝の虚構だが、ネットを検索しているうちに、浪曲師・酒井雲の「駕籠幽霊」があり、それは、国枝の「北斎と幽霊」の一字一句と、ほぼ同じであった。国枝と酒井は同世代に生きていたから、恐らく酒井が国枝の幽霊話を浪曲にしたのであろう。
ちなみに、酒井雲は村田英雄の師匠
ネタバレ
76ページに
美津江:(略)魚を焼くような臭いのたちこめる中を、昼ごろ、うちに着いた。
竹造: (いたわるように)きれいに焼けとったろう。
美津江:泣き泣きおとったんのお骨を拾いました。
竹造:ほうじゃったな。いやありがとありました。
を読んで、美津江の父親・竹造が死人なのかと不思議に思ったが、あとがきに井上が書いているように、竹造は死人で、美津江の反対の立場をとる美津江を父親として登場させたと書いてあり、納得した。
テーマは、友人、知人、親族が多数原爆で死んだというのに、自分は生きていていいのかとう疑問を読者に投げかけている。このような自責の念は古今東西いくらもあるテーマだ。同じようなテーマを取り上げた新聞投書が先日「中日新聞」にあった。以下は投書内容の骨子。
1945年8月。終戦後、私の兄は神風特攻隊員でしたが帰還して参りました。出撃直前に飛行機のエンジンが故障したため飛ぶことができなかったからです。 帰還した兄は父に長い間許しを請うていました。父は村長で、村の多数の若者を戦地に送り出し、そのうちの大多数の人が帰還しませんでした。父は黙して、兄にひと言も声をかけませんでした。数日後、兄は山に入り、自害用に持っていた手榴弾で自爆しました。 父と兄の胸中には計り知れないものがあったと思います。