ネタバレ
76ページに
美津江:(略)魚を焼くような臭いのたちこめる中を、昼ごろ、うちに着いた。
竹造: (いたわるように)きれいに焼けとったろう。
美津江:泣き泣きおとったんのお骨を拾いました。
竹造:ほうじゃったな。いやありがとありました。
を読んで、美津江の父親・竹造が死人なのかと不思議に思ったが、あとがきに井上が書いているように、竹造は死人で、美津江の反対の立場をとる美津江を父親として登場させたと書いてあり、納得した。
テーマは、友人、知人、親族が多数原爆で死んだというのに、自分は生きていていいのかとう疑問を読者に投げかけている。このような自責の念は古今東西いくらもあるテーマだ。同じようなテーマを取り上げた新聞投書が先日「中日新聞」にあった。以下は投書内容の骨子。
1945年8月。終戦後、私の兄は神風特攻隊員でしたが帰還して参りました。出撃直前に飛行機のエンジンが故障したため飛ぶことができなかったからです。 帰還した兄は父に長い間許しを請うていました。父は村長で、村の多数の若者を戦地に送り出し、そのうちの大多数の人が帰還しませんでした。父は黙して、兄にひと言も声をかけませんでした。数日後、兄は山に入り、自害用に持っていた手榴弾で自爆しました。 父と兄の胸中には計り知れないものがあったと思います。
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