2022年4月22日金曜日

金閣炎上 水上勉

 ノンフィクション形式の小説。水上氏が事細かに最大限調べつくして金閣寺を燃やした養賢のことを著している。氏の執念を感ずる。

金閣寺を燃やした養賢は極悪犯のような扱いだが、この本を読むと、いかに哀れな青年(当時21歳)であったがが分かる。以下「金閣炎上」から抜粋。

久恒秀治氏(金閣寺庭園修理担当の発言)「……切羽詰まった彼(養賢)の心情が理解できる。(略)文化財を抱えた京都の寺院が『金閣炎上』をただの犯罪として見ないで、少年(養賢)が犯罪を犯してまで乱打した仏教界への警鐘を謙虚に受け取ってもらいたい。観光、観光と、ただそれのみに明け暮れする京都の寺院は、声の無い少年の抗議に深く心耳を傾け、慚愧し、宗教機関としての本来の面目を取り戻し、道場としての姿勢に立ち戻ることを願うのみである」p. 264

金閣寺住職・慈海和尚は当時の金で年間500円もの収益があった。現在の貨幣価値にすると五千万から一億円ほどか(松岡の感想)。

養徳寺住職・大量師(金閣寺が焼ける前夜、養賢と囲碁を打っていた)「わしはただ、あの子(養賢)が死にたかった気持ちが……いま透けるようにわかるんですよ」

水上「というと、それは金閣寺への反感からですか」

大量師「勿論、あの和尚(慈海)では反感がありましょう。ケチン坊で、自分は仕出し屋から肴を取って酒を呑んでおって、小僧ら(養賢たち)には小遣い銭もろくにわたさん人でしたから、反感は当然でしょう。(略)それと、養賢の場合は、やっぱり成生(なりう:若狭湾の半島にある地名)の西徳寺和尚(養賢父)とおっ母さんとがうまくゆかなんんだ、ちっちゃい時のごたごたもあって、その上、どもりという障害ももっておったということと、重要なことは不治の肺結核がすすんどった、あの病気でお父さんの死ぬのを見ておりますでな……それが大きな理由ですよ。誰からもぜぜりいわれて阿呆にされて育ち、金閣寺へ行って、大学に入っても差別されれば生きようがなかった。また田舎にも戻りようがなかった……心身ともにゆきづまった時期で、あの子は死にたくなって火をつけたんですよ。(略)かわいそうな子でしたよ」p. 308




    


0 件のコメント:

コメントを投稿