2013年7月28日日曜日

乞食谷   吉田知子

文体
スマス調とダデアル調が混在しているが、違和感はない。混在文でも良いのか。ユーモアがあり、ところどころ笑ってしまう。

展開
A.主人公(蟹トク子)が頭に浮かぶことをとりとめもなく話していく。だから、よく話が脱線する。しかし、読者を惹きつける工夫がしてあり、釣られて読んでいってしまう。その工夫とは、英語論文のように段落ごとにある導入文だ。たとえば、「わたし蟹と申します。そら笑ったでしょう」「貝の匂い知ってますか」「窓から見える景色の話をしましょう」などだ。

B.3本の柱がある。
(1) 自己紹介。これが全体33ページ中の11ページを占めている。多過ぎるぐらい。この部分は随筆としても成り立つ
(2) 猿方さんとの交際。これがメイン。
(3) 乞食谷の暴力事件。最初は随筆と考えても良い。 3本柱の短編はあまり見かけないが、筆力で読ませてしまう。こういう短編もいいのか。

名前
よく考えて命名してある。主人公の「蟹」と脇役の「猿方」。「葉沢」は竹の葉を連想させる。「美川」は美人。沢と川は蟹の縁語だ。

末尾
最後の「考えもせずに、ただ横ばかり這いずっていた。横だと自覚していれば、まだやりようもあったのだ」はうまい終わり方だ。ひがんで、ねじれて世間を斜視で見ていたカニに喩えた自分をみつめているの。素直になれない、殻に閉じこもっていた自分をみつめている。

作家吉田智子は「蟹トク子」になりきっている。 なかなか味のある短編でした。

吉田 知子(よしだ ともこ、1934年2月6日 - )は、日本の小説家。 夫は詩人の吉良任市。伊勢新聞名古屋支局の記者、浜松市の高校教諭を経て、1963年より、夫である詩人の吉良任市と同人誌『ゴム』にて活動。1966年、『新潮』に「寓話」を発表して文壇デビュー、1970年、「無明長夜」で芥川賞受賞。1985年、『満洲は知らない』で女流文学賞、1992年、短篇「お供え」で川端康成文学賞、1998年、『箱の夫』で泉鏡花文学賞受賞。 2000年、第53回中日文化賞受賞。 ウキペディア

短夜 内田百閒

 怪談もので面白いが、結末が予想通りで吃驚しなかった。なぜか。 内田百間は恐怖ものが得意だから、最後でどんでん返しがあると予想していた。どんでん返しは、住職が狐で、もう一度主人公を化かすことしかない。どっこい、その通り、また主人公は化かされた。ラフカディオ・ハーンの怪談のなかの「耳なし芳一」とそっくりな終わり方をしている。百間はそれを真似たのか。

展開
一つの事件(事象)が起こるが、そのあとにもっと大きな同じような事件(事象)が起こる。この手法は「ジョーズ」、「未知との遭遇」等で使われている。

読者を惹き付ける工夫
出だしが良い。「私は狐のばける所を見届けようと思って、うちを出た」。次に、奇怪な現象を起こしている。すなわち「蛍が一度に消えてしまった」と「鯉は二匹とも消えてしまった」

欠点
始めの13行ぐらいに同じ言葉が何度も繰り返される。「所所」が3回。「向こう」が4回。有名作家になると許されるのだろうか。文体がスムースでなく、ぎこちないところがある。

内田 百間(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名は内田 榮造。迫り来る得体の知れない恐怖感を表現した小説や、独特なユーモアに富んだ随筆などを得意とした。ウキペディア

2013年7月20日土曜日

Letters from the Samantha Mark Helprin

  Several long reports written by the captain of the Samantha to the owner of the shipping company constitute the story. The ship comes across a tornado. After it escapes the typhoon, it finds a monkey on board. The animal climbs the mast and stays on top of it. The sailors’ opinions are divided as to whether to shoot the animal or to let it go back to land. The captain climbs the mast. When he looks into the eyes of the monkey, he realizes that some form of communication has been established between him and the animal. The monkey also seems to like him. As a captain he has to obey the rule that no animal should be on board, but as a man he sympathizes with the monkey. In the end, the captain strangulates it and throws it into the sea. Then he says to the sailors, “…I was neither right nor wrong in bringing him [monkey] aboard (though it was indeed incorrect) or in what I later did. We must get on with the ship’s business. He does not stand for a man or men. He stands for nothing. … He came on board, and now he is gone.
   The story was amusing, but did not move me. I didn’t identify myself with neither the captain nor the monkey. The monkey was a tornado. The ship narrowly escapes from the disaster caused by something incomprehensible, something “half sensible.”

2013年7月18日木曜日

牡丹灯籠

新三郎に恋焦がれて死ぬお露と侍女米が幽霊となって新三郎の家に来て逢瀬をするところで、幽霊とわかる下りや、百両もらって伴蔵が御札をはがし、お露とまた逢瀬をした新三郎が変死するあたりは、とても面白い。また、悪銭身に付かずで、伴蔵がお国といい仲になり、妻お峰は嫉妬に狂うが、伴蔵に殺される。このあたりも面白い。
しかし、後半はあまりにも登場人物同士が偶然に遭遇し過ぎであったり、何らかの結びつきがあったりして(飯島が孝助の父の仇/孝助の母は、お国を小さい時から知っていた等)、話が出来すぎている。

三遊亭圓朝の代表作.若林王甘[カン]蔵・酒井昇造によって速記され,和綴じ本として明治17年に出版された大ベストセラー
牡丹灯籠(ぼたん どうろう)は、中国明代の小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』に着想を得て、三遊亭圓朝によって落語の演目として創作された怪談噺である。ウキペディア

2013年7月14日日曜日

考える人 井上靖

木乃伊を訪ねる旅行記。
即身仏になった弘海上人がどういう人であったかを丸根、松谷、白戸、私の4人が想像して、人物像を作り上げる。私一人の想像だけで話を進めては単調であるので、4人に分散させたところがうまい展開である。

ただ、タイトルの考える人が何を考えていたかの掘り下げ方が足りない。また、後悔にしても、何を後悔しているかが具体的に伝わってこない。

井上 靖(いのうえ やすし、1907年(明治40年)56 - 1991年(平成3年)129日)は、日本の小説家。文化功労者、文化勲章受章。

網 多岐川恭

登場人物の名前が話を物語っている。
鯉淵丈夫:如何にも水泳がうまい.川の淵に潜んでいて、丈夫な体をしている。 菜村雪夫:草食系。なよなよした地味な、水に溶けそうな男

推理小説は犯人を最後に解き明かすのだが、この小説は犯人も殺される人もはじめから分かっている。最後で鯉淵が逆に菜村をプールに落として溺れさせる。読者の意表をつくエンディングが面白い。

多岐川 恭(たきがわ きょう、1920年- 1994年)は、日本の小説家。本名、松尾 舜吉。福岡県八幡市(現:北九州市)生れ。東京帝国大学経済学部卒。 毎日新聞社に勤務する中で、白家(しらが)太郎の筆名で小説を書く。1958年、『濡れた心』で江戸川乱歩賞、『落ちる』で直木賞を受賞。