2014年1月3日金曜日

湖畔

 全体的にひとつのスリラー風な作品となっている。最終ページで「黒木が谷底に落ちていったのを、花房はまだ知らなかった」というくだりは読者にショックを与え、読後感は悪いが、インパクトを与えている点ではうまい終わり方だ。

また、読者を最後まで引っ張っていく仕掛けがしてあり、読者はついつい最後まで読んでしまう。

しかし、その仕掛けの功罪は……

① 出だしの<……いつ死んでもいいな>という文句。読者はこのセリフにどきりとさせられ、なぜ死ぬのか、どう死ぬのかを知りたくなる。

② 娘の悠子が結婚したため気落ちしたことが書いてあるが、このことが自殺の原因ではない。それは本文中に「しかし、いつ死んでもいいな、と折りに触れては呟くようになったのは、必ずしも悠子が結婚したのが機縁ではない」と言っている。

ここで、読者は他に動機があるのかと思い次に読み進む。

③「戯れに、風がくれば消えてゆく砂の上の文字」という文句を読んで、読者はなんとなく死んでいく動機のようなものを嗅ぎ取るが、これは曖昧なセリフで、自殺の決定的な動機を述べているわけではないと知る。

④「長い戦争が終わった時、黒木は生きたい、生きなければならぬとも思わなかった」と書いてあるが、この思いも死ぬ動機にはなりえない。

 ⑤停年をむかえて振り返ってみると自分は「つまり中途半端だったということであろう」と言っているが、これも自殺の動機について語っているのではない。

⑥ゴンドラに観光客と一緒に乗っているとき黒木は<落ちてくれればいい。……>と言っているが、なぜ「落ちてくれればいい」のか読者はまだわからない。

⑦花房が「やはり精神的なショックに耐えかねて」とか「先生は御自分の死の場所を求めているのではないか」と言っているが、なぜ、どういう精神的ショックを受けたか、なぜ死の場所を求めているのかが分からないので読者はこのあたりでイライラしながら、さらに読み進むことになる。

⑧花房の話の終わり辺りに「先生は既に投身されてしまったのではないかという不安が」と言っているが、読者はここでさらに焦ってくる。黒木は本当に死ぬのだろうかと。しかし、なぜ死ぬのかの説明はまだない。

黒木は結局ゴンドラから身投げして死んでしまうが、作者は最後まで黒木が自殺するに至った動機を明確に読者に提示していない。これでは、読者をペテンにかけたようで、プロの作家がすることではない。もっとも、動機を曖昧にして最後まで明かさないという逆手法もあるというのなら話は別だが。私はこういう手法は卑怯だと思う。だいたい、ゴンドラには車掌が乗っているし、窓は誤って落ちないように厳重になっているので、黒木がゴンドラから落下したというのはリアリティーがない。

もう一点、作者の癖で、主人公にやたらと過去に体験した事柄を引用させながら話を展開させている。例えば。「学生の花房に、黒木は語ったことがある」と言って時間を過去に戻す。また「その戯れの文字の中で、書いたことがある」と言って以前に書いた文章を引用する。「束の間の幻影」でもこの手法が何回も出てきたが、鼻についた。

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