2014年1月3日金曜日

束の間の幻影

「束の間の幻影」というタイトルにこの短編が凝縮されている。すなわち、全ての場面が最後の文、「木原は濃い紫のセーターと並んで歩き出した」の伏線になっている。

伏線1.出だしのススキの風景描写は読者を幻影的世界にいざなう舞台になっている。

伏線2.宮間佳子は江里子自身で、沼崎は木原自身の投影になっている。死んだ江里子にもう一度会いたいという木原の思いが、佳子を沼崎に会わせたいという思いと重なっている。名前の「宮間」の「間(あいだ)」は佳子が江里子と木山の間(あいだ)を取り持つという意味を暗示している。佳子は「木原さんはいつからか、わたしの胸の中に「まぼろしのひと(すなわち江里子)」をつくりあげてしまった積りらしいわね」と木原の思いを代弁している。

伏線3.名誉教授K先生はイギリス詩人キイツと唐代の詩人李賀を比較研究しているが。キイツと李賀に共通する作風は幻想世界、不確かな世界である。キイツは「偉大な文学者たらしめるものは不確実なものや未解決なものを受容する能力だ」と言っている。また、李賀は「半ば幻想世界に生きた詩人で、幻想世界は現実よりも親しいものであった」らしい。(以上ウキペディアから)作者はキイツと李賀を登場させ、幻影世界の伏線としている。

伏線4.K先生が「夕方7時に来てくれ」と、7時に時間を指定しているのは幻影的な時間帯、すなわち秋の6時半頃で、本文の「光の淡い星が増えて……原には夕明かりがまだ漂っていた。D岳が早くも黒の色だ」という夕暮れどきを作者が設定したかったから。

伏線5.江里子が着ていたセーターの色は濃い紫で、木原はそのセーターを沼崎から受け取っている。ススキの原に迎えに来た女性も濃い紫のセーターを着ていた。

難点

① 単純な話(着ていたセーターが同じ色であったから、死んだ恋人と、迎えに来た女性とを混同した)をなぜこうも回りくどく、だらだらと書いているのかわからない。こういう回りくどい作品が日本の文学愛好家に受けるからかもしれないが、私の肌には合わなかった。

② 時間系列が分かりにくい。場面が何度も昔に戻ったり、現在に帰ったりしているから。例えば「8年前のことである」「木原自身も50を過ぎている」「十数年前のことになる」「遠い昔のことになったが」「ある秋の夕方」「10年もそんな状態が続いて」「こんなことを喋った記憶が木原にはある」「5年ぶりでお目にかかる」など。

③ ほとんどの登場人物の年齢がわからないのでイメージを浮かべにくい。

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