2017年11月26日日曜日

「斜陽」 太宰治

出だしから女性(かず子)の上品な言葉が延々と続き、まるで本当の女性が書いたかと思うぐらい、太宰は女性になりきっている。その文筆力に舌を巻く。
  主人公が直治とかず子の二人いて、焦点がぼける。 次に、かず子が上原に出す手紙に会話があったりして、ひとつの読物の文体になっていて、不自然。これは直治の遺書についてもいえる。遺書の中に短編小説のような会話が入るのは不自然。 話が段階を追って盛り上がっていかない。途中から直治の話になり、またかず子の話に戻る。
 読後感が、すっきりしなく不昇華である。 男と女のべたべたした関係を事細かに書いているが、文体が粘りっこく、しつこく、うるさい。太宰の虚弱性(坂口安吾)をそのまま表している。 男女間の悲哀を描いたのか???

2017年11月18日土曜日

宝暦治水 牛嶋正 風媒社

よく調べて書かれた本である。

木曽三川分流工事の御手伝い普請をした薩摩藩と幕府、また村人との関係が理路整然と、学者としての立場から、偏った見方をせずに、図表、地図を示しながら分かりやすく解説している。1の手から4の手の見事な地図は他の文献には見当たらない。

文献を駆使し、経済学者の目で治水工事の中身に鋭く切り込んでいる。今まで霞がかかっていた部分(本小屋と出小屋の位置、大榑川と油島の具体的工事方法、尾張藩と美濃藩の利害関係、切腹者の分析等)が明確になった。

また、薩摩藩にとって難工事ではあったが、薩摩藩士は市場経済を、身を持って一年半にわたり「研修」できて、それがその後の薩摩藩の市場経済発展につながったという展開は、多くの切腹者や病人が出るという悲劇ではあったが、成果があったという見解であり、「安堵」した。

著者の先祖が薩摩藩士として宝暦治水に参加し、工事後、揖斐川の池田町に土地をもらって帰農したという。叔父さんはその八代目だそうだ。私の先祖も揖斐で、池田にある正林寺の大檀家(松岡計助)であった。ことによると、先祖は薩摩藩かも。

2017年11月12日日曜日

「鏡地獄」 江戸川乱歩

鏡、レンズ、凹面鏡、反射鏡等々の仕掛けで「彼」がどんどん仕掛けを改良して複雑な装置を作っていく有様はおもしろい。一体、結末はどうなるのかと思わせる餌がばらまいてあり、期待して読んでいくと、期待外れの結末になっている。一体、鏡張りの球体の中で何が見えるのか、全然説明していない。具体的に描かれていない。乱歩自身も説明できないのだろう。100期待させて100以上の結末になっていない。裏切られたよう。

「月澹荘綺譚」 三島由紀夫

 ミステリー短編のお手本。水も漏らさぬ展開と結末。三重のどんでん返し(照茂の死、夫人との夫婦生活はない、目を抉られて茱萸)。読者を話に引きつける仕掛け(異様な物語、悲劇の起こりそうな、どうして一人でここにおいでになったのかわからない)。自作の七言絶句「月澹ク煙沈ミ暑気清シ」の解説を本分で読者サービスでやっている。(月の澹(あわ)い夜のことで、海の上に浮かぶ靄は煙の用だったが、煙は沈んで低く這い、(略)ふしぎな清らかな暑気とでもいうべき……)。描写が巧い。特に照茂が君江が犯されているところを凝視する場面は見事。
 しかし、難点あり。
1.第一章が長すぎて本題になかなか入らない。飽きてしまう。また情景描写は一行一行は巧いが、さてどういう風景かといわれると頭にイメージが浮かばない。三島は自分の風景描写に酔っている。

2.話がきっちりしすぎ、余裕がない。読者に呼吸させない。水墨画の余白がない。

3.誰が家を燃やしたのか、答えを読者に丸投げ。

4.白痴の君江が犯人とすると、白痴にしては仕返しの仕方(目を抉って、茱萸を詰める)が正常な人間がやったよう。犯人は君江でないとすると誰か。夫人がそこまでやるか。勝造がそんな手の込んだことをやるか。君江がやったとしては不合理。 5.知的障害者を話のダシにしている。三島は「健常者」だからといって、弱者をダシにしていいのだろうか。三島の人格が疑われる。