2021年12月21日火曜日

Nocturnes Kazuo Ishiguro

 It is nice that Ishiguro's English is not too difficult. He writes what he wants to write using easy words and easy sentence structures.

"Nocturnes" is a short story in which the protagonist, Steve, is hospitalized for his face-lifting. Fortunately or unfortunately, his next room lies a well known woman, Lindy Gardner, who also has face-surgery.

Kazuo describes the seemingly close friendship between Steve and Lindy. Steve  seems to be manupulated by her while she is hospitalized. She seems to use Steve just to kill time during the boring hospital life.

Lindy says she will help Steve to  be a famous saxophone player, but she doesn't. Immediately after Lindy's husband comes to her hotel, her attitude toward Steve changes; becomes distant.

The scene where Steve and Lindy tries to hide the trophy in the turk is funny. Also funny is the way they escape from the gurdmen's suspision.

What does Ishiguro wanted to say through this novel? It is not so clear. Just an entertainment?

青春戯画集 中島丈博

1981年のNHKの連続テレビ小説20回分の脚本集

張ったりで大胆な画家楳図と、人のいい画家弘継の葛藤を描く。

弘継が楳図のゴーストペインターに知らず知らずのうちになり、そのことが枷になり自分の絵が描けないようになる。楳図も弘継なしでは絵が描けなくなる。

弘継の育ての母親と生みの母親が同居し、弘継に嫁いできた勝子と、二人の画家から好かれる芸妓の染菊の葛藤も入れ込んで、読者をどんどん牽引していく。

楳図の死によって楳図の本心が明かされ、弘継も立ち直っていくところで終。

人間の葛藤が弘継、楳図、勝子、染菊さらに母親のはると八重が重なり合って展開していくプロットは、用意周到に中島は考えたと思われる。

横山大観とか三笠宮とかが登場するが、それはいいのか。

読みごたえがあった。大観の言葉、「経営ができる絵描きとして君(楳図)が必要だ」この時楳図は頂点に達するも、似せ絵に落款を押したことがばれ、一気に地獄に落ちる痛快悲劇。みごとな「転」。

endingも、まあ、あんなとこだろう。

読後感もいい。


2021年12月17日金曜日

疑惑 芥川龍之介

 「疑惑」の主人公が宿泊した家が大垣町の廓町というところと書いてあって、驚いた。わたしの故郷が大垣市の郭町なのである。

中村玄道が主人公を訪れ、濃尾大震災で妻が壊れた家屋の下敷きになり、救出できないうちに火の手が回り「生きたまま焼かれる」のは残酷と思い、玄道は瓦で妻の頭を殴り殺してしまう。

震災後、殺した真の理由は、妻を憎んでいたことに気がつき、殺しの疑惑に苛まれ、最後は気が狂たようになる。

変な箇所

1.大垣の町の「廓」という漢字が違う。正しくは「郭」

2.玄道の小指がないのはどうしてか、書かれていない。思わせぶりな技巧を凝らしたか。

3.妻・小夜が憎いのは肉体的欠陥があったからの部分で「82行省略」と書いてあるが、これは芥川がわざとそう書いた。読者に推測させるためで、いかにも巧く書かれているように見えるが、芥川は逃げていないか。省略せず、全部書かなければ読者は半殺しになり、不満が残こる。芥川は自分としては、巧い仕掛けと思っているかもしれないが、思わせぶりがこの作品の欠陥にもなっている。

4.職員室で梁に押しつぶされた女が、柱が燃えてきた時、梁が軽くなり柱から脱出できた、と聞いて、玄道は動転する。ここがおかしい。助かったかもしれないという思いに愕然とするが、なぜ愕然とするのか。純粋に「生きたまま焼かれる」のを残酷と思って瓦で殺していれば、助かった話を聞いて、愕然とするが、実際はそうではない。主人公が悩むのは、殺そうと思って殺したのだという思いに苛まれるのであって、「助かった」人がいることを知って悩むのはつじつまが合わない。憎いから殺したのだから、小夜が、助かる助からないは関係がない。純粋に憎くて殺した(「焼かれるよりは」、という思いは偽善である)のだから、疑惑もへった糞もない。

もし放置しておいて小夜が運よく脱出したら、玄道はどう思っただろう。小夜が生きていてよかったと思うか、死ななかったのかと落胆するか。落胆でしかない。

5.最後に人間「明日はまた私と同様な狂人にならないものでもございません」という台詞で終わっているが、これは余分。ダメ押しの押しつけがましい。


いのち  瀬戸内寂聴

 99歳で他界した瀬戸内寂聴の描いた小説?というか、交友関係の裏話集。執筆したのは95歳で、その時まで寂聴は癌だったかで一年くらい入退院しており、退院してリハビリに励み、執筆に漕ぎつけた作品。

はじめ、闘病生活を書こうとして執筆し始めたが、途中で止めた。どう見ても「おもしろくない」からである。

書き改めたのが「いのち」で、全部で6章?からなっている。わたしは半分読んで、最終章に飛んだ。主に闘病のことは書かれていなくて、作家・河野多恵子と大庭みな子との交友録。

「群像」に毎月投稿していたもののを集めた。

実名で、亡き友人との交友を赤裸々に描いているが、どうかと思う。寂聴は何でもかんでも「小説」にしてしまっているのかと思った。

95歳にしての健筆ぶりを見習わなければならぬ。