2021年4月28日水曜日

北斎まんだら 梶よう子

 高井鴻山が主人公だが、あまりにも個性がなさ過ぎ。つかみどころのない男。小布施の豪農の惣領で、京で10年も武道、絵画、和歌などを修業しているのに。始終お栄や善次郎や北斎にびくびくしている。言いたいことが言えない。
これに対してお栄は江戸っ子のべらんめい。お栄は北斎の代わりのように鴻山に絵の指導をするが、これは北斎がするべきこと。また渓斎英泉は余りにもひょうきんもので女好きな軽い絵師に仕立てられている。
全体のトーンが不真面目で茶化して、真剣味がない。最後の部分に少しあるかと思うが。
枕絵に描写、男根、女性器のことが長々と書かれていて、嫌になる。
フィクションとはこうも史実から離れて、(鴻山が十八屋に居候をしていた?)自由に描いてもいいのか。これなら私ももっと自由に「光と影の女絵師」を書けると思った。
所どころ蘊蓄を挟んでいるが、蘊蓄の講釈だなあと分かってしまう。
北斎の孫の重太郎も極悪人に描いてあるが、「百富士」を北斎が真似たという点は知らなかった。
著者の意図は何なのか。何を伝えようとしているのか。高井鴻山が出るのだから、北斎の小布施での活躍(祭屋台の天井画男波女波や鳳凰図、龍。さらに岩松院の大天井画のこと)が抱えていないのは片手落ち。
絵を描くということはどういうことか書いているが、所詮は著者の想像上のことと思えてしまう。


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