2021年2月7日日曜日

紅嫌い 坂井希久子

江戸摺師の娘、お彩が呉服屋の色彩見立てアドバイザーになる話。色盲のため赤と緑が同じに見える武家をうまく材料にしている。

そこに、目の見えない元摺師の父親、呉服屋の次男、手代、許嫁などを登場させて、一編のの話に仕立てている。最後は、呉服屋の色の見極め役になるのかならないのか、はっきりしないところで、余韻をもっている。

時代物を描くときの参考になった。

膝を払い立ち上がる 間口10間はあろうという大店の前にたどり着いた。板戸を取り払った店内は、大いに賑わっている。奉公人は忙しく動き回り、広々とした座敷では、多くの客が反物を物色中である。お彩のように古着を着ている者はいない。ぐっと眉を寄せる それぞれの仕事をしつつも聞き耳を立てるこれは本気だ 「でもーー」と呟き、視線をさまよわす 噂になってます 仰天して仰向けに反った 様子を見守っていた他の手代 足を濯ぐ 足を拭う しばらく黙々と箸を動かしていた辰五郎が、ふいに思い出したように呟いた。沢庵をぽりぽりと齧りながら、先を続ける 余りの剣幕に、お彩は口の中のものをごくりと音を立てて飲み込んだ 肝心要の外堀はすでに埋められて

2021年2月4日木曜日

へぼ侍 坂上泉

 西南の役の前線に出て武功をあげようとした17歳の少年隊長の話。西南の役の戦いの場面のエピソードが色々あるが、戦況についての説明が長く、途中で退屈してしまう。

 江戸時代から明治に移り変わる激動期、西南戦争において武功を挙げんと意気揚々と東京から熊本まで出かけた、元剣道場の跡取りの志方錬一郎は、戦場で戦い方が、剣から銃に替ってしまい、やあやあ我こそはの戦が、射撃一発で瞬時に終わる戦いとなってしまった。武功を挙げるどころではない。17歳の遊撃隊長として西南戦争にはせ参じた錬一郎も、あれから60年たち、77歳になり、東京に出て勉強して、今では大阪の父の道場の後に、書院を経営し隠退する。この60年間に世の中がまるっきり変わり昔を懐かしく感傷に浸る錬一郎であった。

 戦の場面が詳しく書かれているが、同じようなことばかりで、読んでいて飽きてしまう。戦地で酒を呑むとか女を買うとか賭博するとか、エピソードいろいろあるが、読むのがつまらなくなるところもあったが、最後の章で、なんとか挽回したよう。最後の感傷場面がなければ松本清張文学賞を受賞していなかったろう。

2021年1月20日水曜日

清経の妻 澤田瞳子

 北畠三喜の娘・多満は、香炉を探して、

「ないッ。父からいただいた香炉がありません。今朝まではここにあったのです」

と言っているが、著者は香炉がどこに行ったかを最後まで明かしていない、中途半端な作品。

能の「清経」を巧く小説に仕上げた。どことなくわざとらしい。

2021年1月16日土曜日

震雷の人 千葉ともこ

 松本清張賞受賞作品

安禄山が登場する歴史小説と思ったら、そうではない。武侠もの。兄妹が唐の末期にどう生きたかを描いた作品。だから、唐に反旗を翻した安禄山の戦いぶりというより、細々した日常のいざこざ、例えば母との関係、妹(采春)とその許嫁との関係、兄(張永)の人間関係の話など、が中心に話が進められていく。そのため歴史的展開がほとんどない。日常生活の描写が大部分で、面白くない。

疑問点

采春は、許嫁(顔李明)を安禄山が殺したからと言って、安禄山を仇として狙うという話は、構想が大きくて良いが、大きすぎる。

安禄山の行言動が一行も書かれていない。これでは安禄山がどういう人間かが読者に伝わらない。でぶでぶの安禄山が寝ていると場面が突如でてきて、あっけなく殺されてしまう。敵討ちだからもっと力を入れて書くべきだ。

また、いただけないのは仇を討ったのに話が延々と続く。

李明の言葉が疑問だ。

「そもそも人の心は何で動く。(略)わたしは字だと思っている。字はただの容ではなく、言葉も字を口にしただけの単なる音ではない。活きて、人の芯である心を打つ。ゆえに、私は文官になりたい」

上の文で「ゆえに、文官になりたい」と言っているが、字が大事だから文官になりたいというのはどういうことか分からない。「文官」とは大辞泉によれば「軍事以外の行政事務を取り扱う官吏」のことであり、行政職である。字、または言葉、または文章で人を動かしたいのであれば「文筆家になりたい」と続くのが自然である。「字」というのも分かりにくい。

つまらなくて、何度も途中で読むのを辞めようと思った。最後の部分(采春が燕側で、張永が唐側)になり、兄妹が敵対同士で戦う場面になってやっと面白くなってきた。

読者を牽引していくものがない。

もう一度読んでみようか。松本清張賞受賞作だから。


2021年1月6日水曜日

後巷説百物語 京極夏彦

巷説百物語(のちのこうせつひゃくものがたり)

奇想天外な話。

怪奇と言っても幽霊やお化けが出てくる話ではなく、世の中の常識や通年が全く通じないというか、むしろその逆の世界(恵比寿島)を現実味を持って描写している。人間は空想でこれぐらいのことを想像できることを文字で実証してみせている。人間の想像は無限ということ。

話の構成が読者を飽きさせないようにしてある。すなわち、章によって、対話形式であったり、独演会のように一人で一方的に話したりしている。劇中劇形式で、その話を聞く者も巧く全体の話に組み込んでいる。

とにかく、奇想天外で想像もできない世界を描いているので、どうなるか、どうなるかという思いで、次のページに進んだ。A page-turning story of an unrealistic world.

2021年1月2日土曜日

故郷 魯迅

 主人公が故郷を離れて20年ぶりに大金持ちになって故郷に帰ってくる。景色は昔のままだが、20年ぶりに会った少年時代の友人(閏土)が貧しい中年男になっていた。閏土は主人公に会うと「旦那様」と呼ぶ。主人公(魯迅か)は金持ちと貧乏の間に横たわる深い溝を認識し、昔の友と昔のように打ち解けて話せないことを寂しく、また残念に思う。そんな思いを持って、故郷を離れていく姿が巧く描かれている。閏土の子と魯迅の子はまた同じことを繰り返すのだろうか。

考えさせられる短編。人は、相手の人格ではなく社会的地位で判断し、態度を変える。


風狂の空 城野隆

 宣伝文句に「平賀源内が愛した天才絵師」とあるから絵師(小野田直武)の話かと思ったら、絵師の話ではなく、平賀源内の話と、直武の話とごちゃ混ぜになり、もっと悪いことに、吉次郎という絵師(実は司馬江漢)が出てくる。吉次郎は本作では悪役として登場するが、司馬江漢が直武との確執で女を抱かせたり、殺そうとしたりしたという話は作り話丸出しだ。また田沼意次も話に登場するが、この作家の特徴か、「一枚摺屋」でも水戸光圀をだし、けれん味を出しているが、どうも話の筋が分からない。分からない原因は誰が主人公か分からないからである。源内か直武か。混線したままで話が進んで行く。推理小説でもないし、天才絵師の内面を抉る話でもない。政界の裏話でもない。中途半端。

杉田玄白の「解体新書」の付絵を完成したところで話を終えてもいいのに、あとだらだらと引き延ばされた感じ。付絵もその苦労や描き方など詳しくは述べられていず、表面的叙述に過ぎない。

余り読む価値がない。駄作。