2015年11月25日水曜日

Death in the Woods by Sherwood Anderson

It’s a pity that the woman dies in a snowy clearing, surrounded by the dogs. Her death scene reminded me of Jack London’s “To Build a Fire.”

The story is well developed. It develops as the narrator remembers things he experienced in his boyhood and adulthood. The combination of the fragments of memories builds the coherent story.

The ending summarizes the whole story well. Without it, the reader would think the story is not real. When his brother told the story, the narrator “did not think he got the point.” The point is “A thing so complete has its own beauty.” The woman fed “the animal life before she was born, as a child, as a young woman working on the farm of the German, after she married, when she grew old, and when she died.” The ending makes the story sound real and moves the reader. This is a skillful way of writing a story.

2015年11月22日日曜日

湖畔 久生十蘭

話の展開が巧くできている。二転三転する。話が出来過ぎで現実感がない。

疑問点 納得できない点
1. 陶が少女時代ボートを乗り付けて「お乗りになりませんか」
2. 奥平は自分と高木をすり替え、自分を自殺にみせようとするが果たしてそううまくいくか。高木と奥平は違う
3. 奥平の子(2歳)に「7年間の失踪期間を待たずに」とあるが自殺に見せかけたのではないか

描写の巧さ 溺死した陶の犬歯にある孔を見て陶のしたいと確信してからの心理描写。 読後感、読んでよかった、心を打ったという感慨がない。エンタメとしては良い。

母子像 久生十蘭

少年の母を極端に美化する心と母を豚以下の畜生とみなすギャップにより死を選ぶ太郎を描いた

時系列と人物が分かりにくい。 回想が入り込んできてどこが現在でどこが過去かわかりづらい。 担任教師がヨハネというあだ名の教師なのかもわかりづらい。 ベッドの下に潜り込んだ時の言葉「あれをするとき」とあるが「あれ」を知っていたとは思われない。 この短編は設定と技巧が出来すぎ。そのため極端な設定がある

設定
1.母子像というタイトル。母の崇高な美しさ
2.「母の顔を見てこの世にこんな美しい人がいるものだろうかと考えた。この人に愛されたい、好かれたい、嫌われたくない」という思い セックスの現場を見て「汚い、汚すぎる、人間というものは、あれをするとき、あんな声を出すものだろうか」豚以下だ。
3.太郎は子供時代宣教師に預けられた
4.担任が聖ジョセフ中学のヨセフと言うあだ名の担任。
 

2015年11月12日木曜日

WHY I LIVE AT THE P.O. Eudora Welty

Very amusing and entertaining. The relation between Sister and Stella-Rondo is well described through their ironical conversations. Also, how Papa-Daddy and Uncle-Rondo and Mama come to be against Sister (due to Stella-Rondo’s cunning lies) is well described. The reader turns the pages to know how the quarrels in the family ends. Now I understand why Sister lives in the P.O. However, the bad relation lasted only “five solid days and nights.” Isn’t it too short after such a fierce battle? After all, they are not serious at all.

夜の樹 トルーマン カポーティ

 ケイが次第に女と見世物男に追い詰められていく心理描写がいい。情景描写でもいい。特に「車内の電灯が消えた。暗闇の中で…黒ー黄色ー黒ー黄色ー黒ー黄色とまたたいた」は秀逸。

 翻訳の最後の部分に問題あり。 「ケイが見つめていると、男の顔は形を変えていき、月の形をした石が水面下を滑り落ちていくように、彼女から遠ざかっていくように見えた。暖かいけだるさが彼女をリラックスさせた。女がバッグを取り、レインコートを彼女の頭に経帷子のようにそっとかけたのに彼女はぼんやり気づいた。」 最後の「ぼんやり気づいた」は何に気づいたのか不明瞭。 レインコートをケイが自分で被ったのか女が被せたのか。原文ではどうなのか。

神伝魚心流開祖 坂口安吾

真面目に読むと矛盾だらけでバカバカしい話。肩肘ばらずに軽く寝転がって読む分にはまあ面白いと言えば面白い。 「落語教祖列伝」で一応落語ではあるが、落語特有の落ちがない。

2015年10月11日日曜日

瓶詰の地獄 夢野久作

 三通の手紙によって、状況を読者に知らせる手法はよくできている。出だしの難解な公文書が重みを持って信憑性があるようなしかけにしてある。  手紙を照らし合わせると、親近相姦で兄と妹が命を捨てることが分かり、面白いのだが、この話の、真骨頂は話の内容でなく、そのトリック(からくり)の巧みさである。兄の切実な思いは押し付けがましく読者に迫るが、読者は兄に感情移入できない。それは、手紙が、親近相姦した結果だけを書いているから、兄のその時の心理を読者は間接的にしか想像できない。奇を衒った短編で、残心は残らない。

押絵と旅する男 江戸川乱歩

素晴らしい短編
1. 蜃気楼とか双眼鏡とか夢とか幻とか狂気とかで、読者をその不思議な世界に導入する。
2. 次々に奇妙な事が起こるが、奇妙なことはこの事ではないと言って、さらに読者を引っ張っていいく 3. 奇想天外な話がリアリティを持っている。いわゆるmagical realityの手法が駆使されていて、realityがある 4. 単に双眼鏡を逆さにして兄が小さくなり、押絵に入りお七と睦まじくなるということに留まらず、兄は年を取っていきお七は年を取らないという仕掛けになっている。
5. 旅人の語り口調がごく自然で、なんの抵抗もなく、聞いていることができる。「私」に語っていることが、すなわち「読者」に語っている。
6. 最後に旅人が消える場面もいい

2015年9月30日水曜日

The Luck of Roaring Camp by Bret Harte

This is a strikingly interesting but sad short story. It is interesting because the camp full of outlaws turn into a “sacred precinct” with people who wear clean clothes and wash their faces twice a day thanks to the arrival of a baby, who is christened under the name of Tommy Luck. Roaring camp becomes whispering place where Man of War Jack sings a lullaby consisting of 90 stanzas to The Luck. Everybody loves the baby. Above all, Kentuck, whose finger is caught and is held “fast for a moment” by the baby, loves him most. It is sad because in the end, “the pride, the hope, the joy, the Luck, of Roaring Camp” dies held by Kentcuk in a flood. They “drifted away into the shadowy river that flows forever to the unknown sea.” How poetical the ending is! Hart knows how to handle words; she uses formal words where colloquial expression does, like “Profanity was tacitly given up in these sacred precincts.” A happy ending is good, but a sad ending can impress the reader more.

2015年9月19日土曜日

戦後短編小説再発見1 完全な遊戯 石原慎太郎

くだらない話だ。読んだ後何も残らない。気違い女を散々犯して、最後は崖から落として終わり。何というあほらしい話だ。作者の欲望を満たすため、話の中で都合のいい女に仕立てただけの話だ。感動がない。これで短編小説と言えるのか。渡した名刺から電話番号がわかるというのも都合がよすぎる。

「フロントガラスがいつの間にかまた薄く曇り始めた」~「横の灰皿で煙草をひねりながら武井が言った」 1957年 原稿用紙72枚分

2015年9月18日金曜日

戦後短編小説再発見1 眉山 太宰治

実に愉快な傑作。何度も笑ってしまったが、最後はほろりとさせられた。 起承転結が上手く出来ている。まず飲み屋の女中トシの登場。トシにまつわるエピソード(眉山のいわれ、大洪水、味噌と糞)、転で、腎臓結核で里に帰った。結で、河岸を変える。 文章が滞るとこなくスラスラ読んでいける。会話も生き生きしていて無理がない。トシの人物描写が優れている。 「これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、未だ発せられない前のお話である」~「僕たちは、その日から、ふっと河岸をかえた」 400字詰原稿用紙換算、28枚 1948年

2015年9月17日木曜日

カエサルを撃て 佐藤賢一

 全然面白くない。カエサルとヴェルチンゲトリクッスとの戦いであるのに、両者の戦略、戦闘の過程が理解しにくい。またカエサルの人物像が描かれていない。ヴェルチンゲトリックスもどういう人間かが描写されていない。両者の性格を表す生きた言葉が皆無に近い。カエサルを情けない人物に描き、ゲトリックスを乱暴な、短絡的な荒くれに描いている。表現が乱雑で、落ち着いた文体ではない。「……」の部分が多すぎる。発話がありきたりの台詞で生きていない。400ページほどある長編だが、ゲトリックスの女好き話が多すぎる。マキシムにしても、ゲトリックスにしても、言葉使いが馬鹿とか、馬鹿野郎とか汚い言葉使いが多すぎて、下品な小説だ。カエサルの弁舌とかゲトリックスがいかにして部族をまとめたかを読者に納得させる箇所がない。そのための演説もない。  文体も短文が多すぎで、歴史小説としての重みがない。大体ゲトリックスがカエサルの妻を拉致してくる話もいい加減なものだ。  アレシアの戦いでもあれほどガリア軍が優勢であったのにシーザーの登場で激変するのはおかしい。救援軍の敗退も説明不足でよくわからない。 語り手がカエサル、アステル、マキシムス、ゲトリックスなど視点が変わるので、小説全体として落ち着かない。  下品で、表層的で、人間の奥底の心理をえぐっていない、話がわかりにくい。歴史小説になっていない。直木賞受賞作家が書いたものとは思われない。  最大の欠点:カエサルはゲトリックスを本心ではどう思っていたのかが描かれていない。ブルータスはげトリックスの助命を願いでるが、カエサルの反応が描かれていない。

2015年9月6日日曜日

異邦人 カミユ

 ごく平凡で、退屈な話がどんどん発展していき、特に訳もなくアラビア人を殺した主人公が極悪罪人として死刑を宣告される。司祭の祈りを断り、怒りをぶちまける。心は浄化しギロチンにかけられる。 検事の大げさな弁論で次第に極悪人に仕立て上げられていく様子(不条理がまかりとおってしまう)がよく分かるように語られている。最後のクライマックス、大団円は強烈なインパクトを与える。

2015年8月30日日曜日

花束を抱く女 莫言

 はじめの2ページほどを読んだだけで、どんどん引き込まれ、この女の正体と許嫁との結婚はどうなるのかという疑問が高じてとうとう最後まで読まされた。莫言の勝ちである。小説とはこういう風に書かなければならないというお手本である。最後に、結婚はご破算になり、二人は固く結ばれて死ぬという結末は、まあこれしかないだろう。狐に化かされていたとか、夢だったとかで終わっては台無しだから。 この女は現代社会の悪、人間の業で、それと心中するという展開だ。メタホーにした。ショックと同時に考えさせられるmetaphor小説だ。
 

2015年8月8日土曜日

白檀の刑 莫言

 こんな面白く感動的な小説は最近読んだことがない。
 心理描写がすごい。特に銭知事の最後の場面の心理が手に取るようにわかる。孫丙の周りで義猫や猫集団が猫腔を演ずるのを止めるか続けさせるかの葛藤、ドイツ兵への憎しみと袁世凱から認められたい出世欲との葛藤の描写。 
  趙甲の白檀の刑を完遂しようという意気込み、孫眉娘が銭知事を慕う有様、孫丙が岳飛になり、ドイツ鉄道を阻止する意気込み、どれも充分堪能できる描写力。 白檀の刑の執行過程の微に入り際にいる描写、180回かかって肉をそいでいく刑の方法の凄さ。
  最後の場面の急展開。「芝居は……幕じゃ……」の素晴らしいエンディング。 語り手を次々に変える手法(ある時は孫丙、ある時は銭丁、ある時は眉娘、ある時は小甲が語る)。また、時間的に遡及する手法。 設定が良い。袁世凱や西大后などを登場させ歴史上の出来事のように設定している。また登場人物が親戚同士である。孫丙は眉娘の父親、銭丁の愛人が眉娘、眉娘の夫が小甲。小甲の父が趙甲。趙甲は眉娘の舅ということになる。その人間関係の複雑な関係が面白さを出している。
  訳者によれば、この小説は「徹頭徹尾莫言の想像力の産物」だそうだ。人間の想像力は無限ではないか。 見事な出来栄えだ。

2015年7月8日水曜日

In the Cafe by Cesar Aira

  I don’t understand the theme of this story.
  The plot is simple. A four-year-old girl gets works of origami made by customers, one after another, at a café while her mother is talking with her friend. The first origami is a boat, which soon comes apart while she is carrying it to her mother. The next one is a plane, which is followed by a doll, a hen, a clown, a coffee cup with a saucer, a museum, and a boat with Potemkin and Catherine the Great sailing between the banks where people are cheering, and a kangaroo and the joey, and Thinker. Finally when she is called by her mother and they are just leaving the café, when she is given a polyhedron. The writer describes the customers’ occupation and appearances, and discuss how they come to make origami elaborately, I say, too elaborately.
   Every origami is destroyed unintentionally by the girl. Does the story hint the destruction of the beautiful globe? Human beings are continuously destroying without paying any attention to God’s work.

A Singer's Romance by Willa Cather

  A Singer’s Romance Willa Cather The story develops very well. The readers wonder how the relation between the “competent” opera singer, Frau Selma Schumann, and a the broad shouldered young man, Signorino will end. Will she have a romance with him? Why doesn’t he talk to her. Why is he always playing the role of a “shadow”?
     Everything is revealed at the end of the story. The Signorino was not seducing her nor did he like her. Actually the woman he loved was not the singer, but the 16-year-old singer’s servant. That’s why ‘Toinette persistently asked Madam whether she wanted to drink champagne. Actually, she wanted to go out to meet the man.
     The humor lies in the end when she breaks her determination to give up eating pastry and drinking champagne. The ending goes: “Then she ordered her breakfast—and a quart of champagne.

2015年6月30日火曜日

「トカトントン」 太宰治

 最後の「拝診」の文面が分かりにくいが、これは話し手の言うように「無学無思想の男」が書いたものであるから、文面通りに受け取ってはいけない。

文面通りに受け取ると、「周知が認めるように、君は最後の土壇場で醜態を晒すのを避けている。避けずに勇気をもって臨め。魂を殺しえぬ人間を懼れずに、身と魂を滅ぼし得るキリストをおそれよ」と言っている。結局、神を畏れ、神を信ずればトカトントンは消えると言っている。しかし、神を信ずればトカトントンが消えるとも思われない。だからこの文面はまともにとってはいけない。 

では何を意味するか。答えは「私」の手紙の最後にある。「自殺を考へ、トカトントン」とある。太宰は翌年自殺するが、「トカトントン」を書いていた時に自殺をすべきかどうか、自殺する勇気がない不甲斐なさを嘆いていたと思われる。だから、「拝復」を書いた太宰自身は「身を殺して」とか「身を滅ぼす」などの聖書の言葉を引用して、「身を滅ぼせば」トカトントンが消えると暗示し、自殺できないでいる自分自身の勇気のなさを自虐的に自嘲している。「死ねばトカトントンは治るのに、勇気がない」と言っているのだ。「醜態」とは自殺をした後の自分の哀れな姿だ。

「皮膚と心」 太宰治

女性の肌に吹き出物が出て、それがますますひどくなるが、医者へ行って治る話。

短編の中に「ボヴァリー夫人」のエンマが登場し、もしエンマの肌に吹き出物ができていたらロドルフの誘惑を断っただろうと書いている。これは何を意味するか。写実主義とロマン主義の正面衝突を描いている。ロマンな心を持っている主人公が現実(吹き出物)を見てもだえるのである。

タイトルの「皮膚」は写実・現実主義の吹き出物を意味し、「心」はロマン主義を意味している。

2015年5月27日水曜日

The LOTTERY Shirley Jackson

The Lottery Shirley Jackson

1. A very shocking ending.

2. A lot of misleading foreshadows: “fresh warmth, blossoming” at the beginning, followed by “square dances, the teen club.” No serious scene, talkative Mr. Summers.

3. What is the theme of the story? Does it tell us that human beings are selfish? Once the black spotted paper falls onto others, one is relieved and can be cruel to them. Or people are faithfully practicing the traditional rituals even the significance has long faded?

4. The atmosphere of drawing lotteries is friendly and casual, and not serious or solemn at all. Then why don’t they open their papers after they returned to their original position in the crowd?

2015年5月24日日曜日

カチカチ山 太宰治


カチカチ山 太宰治

1.      とても面白い、何度も笑った。特に「ウンコも食べったんだってね」

2.      ウサギと狸に性格が入り、単なるおとぎ話が人間ドラマになった

3.      340ページ 「なあんだ、あなたなのという気持ち、いや~その時の兎の顔にありありと見えている」描写が巧い

4.      「女性には無慈悲な兎が住んでいるし、男性には善良な狸がいつも溺れかかってあがいている」は名言である。
5   ほんとの話は、極悪非道な狸(畑を荒らし、ばあさんを騙し、婆汁にしてしまう狸だからこそ、兎の仕返しの残

瘤取り 太宰治


瘤取り 太宰治

1.      Positiveに生きるかnegativeに生きるか

2.      ところどころにある原本らしきカタカナは話に変化をつけている

3.      289ページ 「どうかとって下さいまし」を「そんなに欲しいならやってもいい」は話が矛盾している。

4.      最初の爺さんの妻は愛想がない無味乾燥な性格、息子は聖人。ところが爺さんはPOSITIVEに生きる明るい性格。これとは対照的に、二番目のお爺さんの妻は36歳、娘は美少女でともに陽気、爺さんは陰気なNEGATIVEな性格。脇役によって、主人公を浮きだたせている工夫がある。

5.      阿波の俗謡と意地悪爺さんが舞う平家の謡曲?は太宰の作品か。そうならすごい文筆力だ

2015年5月13日水曜日

Weight Watchers Thomas McGuane

This story is too difficult for me to understand. What does the author want to say?
After I finished reading the book, I am inclined to think that the narrator is so negatively influenced by his parents that he determines not to marry. He just wants to avoid the same troubles that will arise in his marriage. He is a naïve person who wants to avoid the worldly things and to disconnect himself from his outer world. New York Times picked up this story probably because it has something common between the narrator and the present day young people. The narrator is not matured enough to live though a life that is dirty and full of contradiction.

2015年5月12日火曜日

檸檬 梶井基次郎

読者を言葉の魔法にかけるかと思われるぐらいの文筆力
1.肺尖を患い神経衰弱であるからか、短編を書くのに大きな出来事はいらない。ごく日常生活で発見したことを発想豊かに書き表せば素晴らしい作品となる。
2.物事の形容の仕方が非凡である。 a.果物屋で「何か華やかな美しい音楽のアレグロの流れが、ゴルゴン的なものを差し付けられて、あんな色彩やヴォリュウムに凝り固まったような果物 b.檸檬の匂いを嗅ぐと、「私の身体や顔には温かい血のほとばしりが昇ってきて何だか身内に元気が目覚めてくる」 c.実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなるほどに私にしっくりした。
3.読者を引き込む力が抜群。特に「ある朝――」からは読者を引き込み、最後檸檬爆弾を置いて丸善をでるというあたり、感情移入をしてしまうし、ユーモアがある。
4.ところどころに出てくる、自問自答の文章が適切。「今日は一つ入ってみてやろう」「あ、そうだそうだ」「出ていこうかな、そうだ出て行こう」
 

2015年4月26日日曜日

娼婦の部屋 吉行淳之介


  私の好みに合わなくて、面白くない。なぜか?

1.      だらだらと話が展開していくため、読者を引っ張っていかない。。

2.      情景のイメージが湧かない。心理描写が理屈っぽくて感情移入ができない。

3.      文章表現が平凡で特に優れている印象はない。

4.      主人公が魅力のある男性でない。最後に主人公が言う台詞「そうか、元気でやりたまえ」はないでしょ。主人公は秋子によって、毛を毟り取られたような気持ちが、回復して人間らしくなって部屋から出ていたという恩義があるのに「ばあさん」になったとなると、簡単に捨ててしまう冷淡薄情さ。

5.      最初の学生服でのインタビューの話全体の意義がわからない。骨相学についての展開があるかと期待したが、そうでもない。

ほめるとすれば、3年のうちに主人公は秋子に対して心が変化していくが(「この町は私を必要としなくなっており、私もこの町を必要としなくなってしまった」)黒田の秋子に対する態度が不変であることのギャップが面白いと言えば面白い。

春琴抄 谷崎潤一郎


春琴抄 谷崎潤一郎(1886-1965)79歳没 昭和8年発表
 
1.虚構を事実であったかのようなトリックを巧みに取り入れている。その巧みな仕掛けは:

  出だしの墓の風景、虚構の「春琴伝」への言及と引用、語り手が取材した照女、春琴が作曲したという「春鶯囀(しゅんのうでん)」や「(むつ)の花」、天竜寺峩山(がざん)和尚の言葉など

2.キャラクター作りの巧さ。佐助の献身的な奉仕の姿勢。春琴のわがまま、気がきつい気性、高慢さが一貫している

3.心理および情景描写が優れている。

4.大阪弁を巧みに取り入れて単調な文体に変化をつけている

5.プロットづくりの巧さ。起承転結が見事になされている。転は春琴の顔が醜くなりやがて佐助が目を潰すところ

6.わざとだが句読点がないので読みずらい。

7.浄瑠璃と鶯に関するのうんちくが長すぎる。
 
昭和の読者は事実に基づいた作品だと信じ込まされて読んだであろう

2015年3月25日水曜日

THE SWIMMER John Chever


  Neddy Merrill plans to “swim the Lucinda stream” to get back home. He actually swims in the neighborhood swimming pools one after another to reach his destination. The story first takes place in the summer, but as the story develops, yellow leaves fall and winter sets in. He sees winter sky Andromeda and Cassiopeia constellations. As Ned swims in the pools, he encounters various people and families but somehow feels forgetful. He becomes so weak and tired that he wonders whether he can safely reach his house. But when he reaches it, it was empty. His wife and his daughters are gone.
On the surface, Ned’s plan is carried out as he planned, but in the deep bottom, he transforms from a vigorous man into a feeble, forgetful, Alzheimer's patient. The story develops with two different time spans. One lasts within one day, but the other covers his life. A mysterious story.

THE CRABAPPLE TREE Robert Coover



  At the beginning of the story, a mother bleeds to death during childbirth (The baby is Dickie-boy.) and is buried under a crabapple. Her husband marries the Vamp, who then “cut Dickie-boy’s head.” He is buried under the crabapple next to his mother. The Vamp poisons her husband, and buries him under the crabapple, and abandons her daughter, Maleen, and goes on the run. (She may be under the crabapple, too, which means that she was killed by Maleen). Mareen is a queer girl who enjoys playing with piles of Dickie-boy’s bones dug from under the crabapple. Mareen inherits the Vamp’s house. Birds gather in the crabapple branches and eat the apples, and get louder and bigger.
  A very scary story. It does not move the reader’s heart, but just gives a dark and spooky impression. There is nothing more to it. I don’t know why New Yorker chose this story.


2015年2月28日土曜日

A Perfect Day for Bananafish J.D. Salinger

An excellent short story. Well written. The effective forecast that shows Seymour’s peculiar behavior. Then follows the part where the girl and Seymour go into the sea. Because of his madness, the reader is afraid that he will drown the girl at any moment. For example, the expression: “He edged the float and its passenger a foot closer to the horizon.” This signifies that the girl is pushed away from the shore to the more dangerous spot in the sea. This intensifies the reader’s scare. The abrupt ending is effective, betraying the reader’s expectation. The reader does not know what will happen with his gun until the last moment, or until they read the last three words: his, right, temple. Almost all the readers, I guess, would think that he would shoot Muriel.

A good writer knows how to betray the reader’s expectation.

2015年1月15日木曜日

The Conversion of the Jews Philip Roth


 This is one of the most humorous stories I have ever read. Despite the grave title, “The Conversion of the Jews,” the novel often makes the readers laugh. The most dramatic and humorous part is the scene where Ozzie orders Rabbi, his mother, and the people down below to say, “God can make a child without intercourse.” This is the moment of conversion from Judaism to Christianity. Roth keeps the readers in suspense in the early pages of the novel: whether Ozzie will come down to the ground safely or not. This is a good technique to drive the reader into a corner. The last scene is effective. It gives the reader a relief. Ozzie says, “Now I can come down… And he did into the center of the yellow net that glowed in the evening’s edge like an overgrown halo.

2015年1月7日水曜日

大力 太宰治


大力

この話は井原西鶴の『本朝20不孝』の「無用の力自慢」を種本としています。原作(現代語訳)を読んでみてがっかりしました。「大力」のあらすじと原作とほとんど変わらないのです。

原作は次のような話です。

丸亀屋才兵衛なる怪力男が相撲好きで、父親が相撲をやめるように言っても相撲をやめない。母親も「島原へ行って千両や2千両遣ったところで減るものではない。相撲をやめて存分に色遊びをしたらどうか」と勧めても、相撲をやめない。ついに女房を持たせるのだが、才兵衛は「摩利支天に誓って女は嫌いじゃ」と言って女房を避ける。ところが夜宮相撲で、相撲取りに投げ飛ばされて肋骨を折って床に伏し、両親に足をさすらせ、親の罰当たりとして名乗りを上げることになった。以上が原作です。

原作と「大力」の違いは主に2つあります。一つ目は、「大力」では才兵衛が幼少の頃、いかに怪力であったかが描かれていること。二つ目は、相撲の師匠の鰐口が「おい、おれだ、おれだよ」と言って隙を作らせ、投げ飛ばすという点です。太宰が「無用の力自慢」を改作した箇所は、突き詰めて言えばこの点だけです。もっとも父親が楊弓、香、蹴鞠、狂言などを勧めますが、これも原作に「琴、碁、書画、茶の湯、蹴鞠、楊弓、謡曲などの慰みもの」が出てきます。鰐口の取り組み方はユーモアがあって面白いのですが、誰しも考えそうな勝ち方で、太宰独特の勝ち方ではなく、目新しいものではありません。

種本を改作して新しい作品を創作するのは面白いのですが、太宰の「大力」は余りにも原作と似ていて興ざめしました。