2009年10月12日月曜日

葛西善蔵 「哀しき父」

 生きる哀しさを綿々とつづった私小説。プロットで読者を引き付けるというより、むしろ「哀しき」生活ぶりで読者を共感させる。クライマックスは、「彼は軽く咳入った、フラフラとなった、しまった!斯う思った時には、もうそれが彼の咽喉まで押し寄せていたーー。」 暗い陰鬱な重苦しい「孤独な詩人」を売り物にしている。 暗さを表す表現: 哀しき父ーー彼は斯う自分を呼んでいる 云ひようのない陰鬱な溜息 彼は都会から、生活から、朋友から、あらゆる色彩、あらゆる音楽、その種の凡てから執拗に自己を封じて、ぢっと自分の小さな世界に黙想しているやうな冷たい暗い詩人なのであった。 堪え難い気分の腐蝕と不安 暗い瞑想に耽ってぐづぐづと日を送って 毎晩いやな重苦しい夢になやまされた 暗い場末の下宿 大きな黴菌のように彼の心に喰いいろうとし 冷たい悲哀を彼の疲れた胸に吹き込む 擬態語(mimetic words)、擬音語(onomatopoeita):  街の文章講座では、避けるように指導されている言葉がふんだんに使われている もやもやと靄のような雲 /日光がチカチカ桜の青葉に降りそそいで / じめじめした小さな家 /ガタガタと乱暴な音/チョコチョコと駈け歩く/日のカンカン照った/梅雨前のじめじめした/ブツブツと女中に何か云って/コソコソト一晩中何か語り/ガタガタとポンプで汲み揚げられる/ムクムクと堅く肥え太って/ゴロゴロ寝ころんで/ペラペラな黒紋付/うとうとと重苦しい眠り/部屋の中はむしむししていた/ビショビショの寝衣/氷嚢はカラカラになって/金魚がガラスの鉢にしなしな泳いでいる (実際は長い「く」の字で、繰り返されている) 発見1 三島由紀夫は擬態語擬音語を嫌ったらしい 発見2 永井荷風は葛西のような庶民ぽい俗な文を書かず、もっと完璧なきっちりした文を書いたらしい。 葛西善蔵 1887~1928。生家は広く商売をしていたが、善蔵が2歳のときに没落。

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