2009年12月25日金曜日

松本清張 「地方紙を買う女」

 話はよくできていると思うが不自然な個所が6か所ある。 1.女は新聞を購入するために連載「小説が面白そうですから」と理由をつける。新聞を購読するのにいちいち理由をつける人はまずいないであろう。これは伏線だからしょうがないが、わざとらしい。殺人をした後の心理から、何かもっともらしい理由をつけなければならないと思ったと清張は書いているが、これでは読者は納得しない。 2.同じく新聞の購読を止めるのに「小説が面白くなくなった」とまた理由をつけている。これも不自然。清張は自ら不自然だと言うことに気が付き、女に「あんなこと書かなければよかった」と言わせている。新聞購読を止めるのにいちいち理由をかく人はいないだろう。 3.最大の欠陥は作家と女が初対面で会った時、当然のことながら作家は小説の中身について女と話をするはずだ。(たとえ小説がつまらなくなったと言うことを伏せておいても。)三流作家ならなおさら自分の小説のどこが面白いか知りたいはずだ。ところが清張はそこは触れずにさらりと流して茶封筒を忘れる場面に移っている。わざと「試す」ためなら何も茶封筒という小道具を持ち出すまでもない。小説の中身、例えば、主人公の○○についてどう思うか。あの場面はどう思うか」と聞けば、女は答えられないから、「試す」ことになる。茶封筒の話になる前に一言二言小説の中身に関する話題があって当然だ。 4.最後の手紙の中で、女は毒ジュースを飲んで自殺することになるが、自殺をするだけの理由がない。読者はなぜ自殺するのか納得できない。寿司に毒が入っていなかったのだから、犯人と確定できない。作家の勘違いと言うことになり、女は無罪放免だ。作家は推理が間違ったということになる。それをわざわざ「私の犯罪はあなたの仰った通りです」と白状することはない。二人人間を殺した女がそのような気の弱くなるのは不自然だ。 5.警備員を殺した理由が万引女にされ、身体や金銭を欲しがったため、となっているが、普通に考えて、それだけの被害があれば警察に行くはずだ。行かなくて殺すと言うのはそれだけ読者を納得させる理由をかくべきだ。女が警察沙汰になってはまずい過去があるとか。 6.作家は女の言うように別の女を誘って三人で伊豆にいくが、別の女は、こんなに素直についてくるだろうか。男一人に女二人の旅行は親しいあいだがらならともかく女性が初対面同士であるのに、旅行の話に乗ってくる女はまずないだろう。清張もそこは分かっていて、「理由は特に打ち明けなかった」とか、「この先生なら安心だと見縊った」と書いている。見縊る前になぜ三人で行くのか疑問に思うのが当然だろう。

2009年12月24日木曜日

山崎豊子 「白い巨塔」

 医学に関しては素人である山崎豊子が、専門の医師かと思わせるぐらいの筆致で癌及びその手術を描いている。作者によれば、財前なら財前の手術の仕方があり、それを描いたと言っている。舌を巻く。法廷場面も同様である。弁護士による質問、被告人や原告の答え方、裁判官の言葉使い、対質、控訴等、これも訴訟の専門家が小説を書いたと思わせるぐらいの筆力がある。  医事に関する小説を書いた場合、専門の医師が読めば、たちどころにその小説が現実に即していないかどうかはすぐに暴かれる。「白い巨塔」が広く読まれ、映画にもなったのは、そこに描かれている癌治療の場面を癌専門の医者が読んでも耐えられるように描かれているからである。法廷の場面も、一弁護士が読んで偽物か本物かは一目瞭然でわかる。この小説は内容の専門性が専門家の目に適っているということで、そこに至る作者の取材は熾烈を極めたと思われる。  「山崎豊子 自作を語る」によれば、取材に関しても、弁護士や癌専門医に徹底的に質問し、テープレコーダに取り、医学用語を勉強したそうだ。控訴を扱った続編では4人の癌専門医師に財前側と佐々木側に分かれて一審を覆す方法を議論してもらい、録音したものを起こしたそうだ。最後の判決文も、まず自分で書き、裁判官に直してもらい、それをまた読者用に直したと言う。  次に特筆すべきは、登場人物の会話の部分である。会話を発している人物の心理描写を的確に言い表している。例えば「と、相手の心を見透かしたように」とか「と、怒る感情を無理に抑えたように」と言う表現だ。一般に読者が会話の部分を読む場合は、コンテキストから会話の音調を想像するのだが、山崎の会話はどのような感情をこめて言ったかが、いちいち添えてあるから、会話が生きており、読者の頭にじかに入ってくる。  人物描写も優れている。「太い唇で肉感的な体つき」とか「青白く、頬骨が出っ張っている内気な」とかいう簡潔な描写でその登場人物の人となりをズバリ読者に伝えている。人物が読者の目の前に現われるように読めるのは、このためである。  情景描写も読んでいて、その情景が目の前に映るような書き方をしている。一字一句に無駄がない。一つの情景描写文を読んでいくうちに、使われた言葉が情景を的確に表し、読者はごく自然にその世界に入っていくことができる。今、松本清張を読んでいるが、清張の情景描写はごつごつしていて、少しも情景が頭の中にイメージできないような、取ってつけたような描写になっている。山崎の文は滑らかで、最後の一字まで情景描写表現を愉しんで読むことができる。文が巧いとはこのことを言うのだろう。  さらに、人物の命名の仕方が面白い。名は体を表すが、財力と名声を追いかける人物を財前、研究一筋に生きる世俗慾に惑わされない人物を里見としているのは考えて命名したと思われる。  テーマは社会正義派の筋を通したものだ。教授選挙の裏での画策、誤診裁判での圧力と横やり、学術会員に当選するための裏工作。このようなことが実際世の中にはありうると思わせる力強さがある。さらに醍醐味は、一審で財前が勝訴するが、二審で敗訴する。山崎によると「白い巨塔」は財前の勝訴で完結したのだが、多くの読者の抗議と社会的影響を取り入れ「続・白い巨塔」を書いたそうだ。いったん勝訴した小説を敗訴に持ち込む続編には相当の専門的な取材なしではできない。読者(医者、弁護士を含む)に納得のゆくプロットにするには並大抵の努力ではすまなかったと思われる。  最後にあれほど権力と名声を求めた財前も皮肉なことに末期癌で死んで行くが、著者は財前の医師としての最後の解剖所見を最終場面に持ってきて、財前に医師としての尊厳を最後に与えて、後味の良い終わり方にしている。  あえて「白い巨塔」の欠点を言えば、読者に事の成り行きを易しく解説するために会話をさせているな、と思わせる会話が多々あるが、これはいたしかたないことだ。  久しぶりにいい作品を読んだ。

2009年12月23日水曜日

松本清張 「顔」

問題点  車窓で見た犯人の横顔が話の味噌になっていて、面白いとは思うが、実際人の横顔を見る場合は、その人の正面からの顔も記憶に残るはずだ。  石岡は料理屋で井野と偶然相席になった時、井野の顔を認識しなかったのはおかしいのではないか。特に井野は奇異な顔と言うことを作者は何度も「顔」の中で指摘しているだけに、相席になった時、井野を認識しなかったという設定には無理がある。それが映画の中で井野の横顔がスクリーンに映って気がつくと言う点はどうも合点がいかない。

2009年12月11日金曜日

Stephen King “Premium Harmony”

  Premium Harmony is a cigarette brand name. The protagonist, Ray, is fond of smoking, which his wife detests. She likes a dog named Jack Russell, but Ray are not so much interested in the dog. One day, Ray and his wife argue over Ray’s smoking while driving to a supermarket, the Quick-Pit with the dog. They arrive at the market and she goes out to buy a ball for her niece, leaving Ray and the dog in the car. After a while, a sales woman comes to Ray reporting that his wife has died of a heart attack. Ray rashes to the scene and finds his wife dead. After coming back to his car, free from self-consciousness of playing the role of a tragedy hero in the supermarket, he returns to his car only to find the dog dead. He drives to the hospital smoking.   Sephen King presented a sad story of the wife’s death in a twisted and humorous way. A quarrel over smoking, her sudden death followed by her pet dog’s death, and his joyous and contented way of smoking. King depicted irresistible attachment to one’s likings even at a time of tragedy. The reader understands his feelings when he begins smoking after he came to himself in his car, free from self-consciousness. On one hand he is sad, but on the other he is satisfied with the situation where no one protests his smoking.   The development of the story is good with a persuasive ending. His vivid description of each scene such as “There are little bits of coconut caught in his whiskers” reminds me of that of Charles Dickens. He also skillfully writes most of the story in the present tense, which is said to be difficult for ordinary writers.   In one of King’s book on writing, he said that he was using “The Bridges of Madison County,” a 1992 best-selling novel by Robert James Waller, as a bad writing example in his novel writing class. How confident he is!

2009年11月26日木曜日

志賀直哉 「クローディアスの日記」

 「ハムレット」で、兄を殺して王になり、兄の妻を娶った男の日記。始めは、ハムレットと話をして自分を理解してもらおうと考えているが、毒殺劇を見てから、自分は兄を毒殺していないのに、劇を見て驚き、その顔が毒殺したとハムレットが思うような顔つきになってしまい、ハムレットのこざかしい細工に腹を立て、ハムレットを憎むようになる。  シェクスピア戯曲の主要登場人物の日記という発想は素晴らしい。ところどころ、「ハムレット」のセリフが出てきて真実味を持たせている。しかし、志賀直哉はクローディアスの兄の死亡についてその原因を描かずに逃げている。フィクションであるから、身の潔白を証明するようなエピソードを書くべきで、ただある夜「兄は吠えるようなうめきを続けている」で終わっては読者を生殺しにする。  天下周知のフィクションを土台にして、フィクションに即したさらなるフィクションと言うのは面白い。ただ、イギリス人(この場合はデンマーク人)の文化・思考・傾向に適合していないと本物らしいフィクションにならない。この点は太宰治の「新ハムレット」にも言える。  「桃太郎の日記」「浦島太郎の日記」芭蕉が詠んだ古池の「蛙の日記」などヒューモラスなタッチで書けたら面白い。 考察: 「ハムレット」の中で、クローディアスは「この罪の悪臭、天へも臭うぞ。人類最初の罪、兄殺しの大罪! どうしていまさら祈れようか」(福田訳)と独白しているように、クローディアスが王を殺したことは明白に読者に伝わるようにシエクスピアは描いている。これをクローディアスは王を殺していないんだとする志賀直哉の「クローディアスの日記」は前提に無理がある。

Conan Doyle “The Adventure of the Blue Carbuncle”

  Sharlock Holmes deduction is amazing. (which means how clever Conan Doyle is.) Just inspecting a mere hat, he deduces that the hat owner is: “intellectual; was well-to-do within the last three months; declined his fortune; his wife ceased to love him; has self-respect; leads a sedentary life; middle aged, has gas laid on his house.”   Except for the inferences, the plot which leads to the arrest of the thief of the Blue Cabuncle, a diamond, is not so attractive since the writer just follows the path that he has already laid. The reader may think it mysterious (and enjoys the mystery) to track back to the goal, but like Poe’s “The Gold Bug” it is not mysterious at all.   The point is how to set the goal. Once the goal is set, all you have to do is to put a clue here and another there. In putting the clues highly sophisticated skills are necessary but in general it may not be so difficult to write such a story.   Concretely speaking, A is the cause of B; B is the cause of C; C is the cause of D; and D is the cause of E. The reader is naturally shocked to find the relation between A and E when he/she first encounters the relation as in “The Adventure of the Blue Carbuncle” where Peterson finds a diamond in the goose.   A Japanese saying goes, “If the wind blows, okeya a cooper will earn.”

2009年11月25日水曜日

Javier Marias “While the Women Are Sleeping” New Yorker

PLOT:   The narrator and his wife Luisa see Viana, a 53-year-old fat man constantly taking a video of Iona, a 23-year-old “girl friend” of his on the beach. Iona behaves as if he was not taking a video. One night the narrator talks with Viana, who says, “I have known Iona since she was 7. When she was 18, we married. The ripe time is over; the decay will begin. I am afraid of the end of my adoration of her and her independence from me. That’s why I persistently take a video of her for memory. I may kill her to keep her as she is.” COMMENT:   This is a creepy, weird story. Viana is obsessed that one day he will lose Iona. The writer shows how obsessed Viana is by letting Viana talk his history. The reader will be tired of listening (reading) his mentally strange story. This is not so much a short story as a mystery story. It’s similar to Poe’s work.   The writer is a Spanish and the story is translated into English. HINT FOR A SHORT STORY:   It may be interesting to write a story in which a “normal” person turns out to be abnormal, and what he thinks “abnormal” turns out to be normal.

2009年11月23日月曜日

シャルル・ルイ・フィリップ 「アリス」

 それまで母親に可愛がってもらっていた7歳のアリスは、弟が生まれてから母親の愛情が赤ん坊に注がれ、嫉妬する。実は、アリスの後から3人も赤ん坊が生まれたのだが、1週間もたたないうちに3人とも死んでしまっていて、アリスは赤ん坊は死ぬものだと思い込んでいた。だから、今度の弟の誕生もそんなに気にしていなかったが、1週間たっても死なない。アリスは嫉妬で食事を摂らなくなり、「赤ちゃんが死なないのなら、あたしが死ぬ」と言ってアリスは、ある日椅子に腰かけたまま死んでしまう。  話の展開が、ごく普通の事から導入されていき、次第に読者のテンションをあげて行き、を結末はどうなるのか(死ぬのは弟か、アリスか)最後を知りたくて急いで読もうとさせるサスペンス力がある。やはり、コンフリクトの展開の仕方で、作者は読者はをどうにでも操れる  また、チェーホフの「眠い」で、最後に少女が赤ん坊を殺してしまうが、「アリス」同様、読者は意外な結末に驚くのだ。 問題点1 変な翻訳「妻は4年の間に3人の子供を産んだが、」の「妻」はおかしい。これでは話し手が夫になってしまう。しかしこの小説の視点は神の視点になっているから。 問題点2 変な翻訳「かわいそうにこの子はある事件のために死んでしまったのだ」は、おかしい。これではアリスが最後には死んでしまうことをばらしてしまっている。サスペンスの途中に、著者が結論を暴露してしまうはずがない。ここは多分「かわいそうに、この子はある事件のために心を病んでしまったのだ」ぐらいの訳ではないか。 シャルル・ルイ・フィリップ Charles-Louis Philippe 1874年生まれ。フランスの作家。セリイという小さな町に木靴職人の子として生まれる。リセ卒業後パリに出て、市役所勤めのかたわら創作活動。娼婦との同棲体験から生まれた小説『ビュビュ・ド・モンパルナス』を発表。ラルボー、ジッド、エリ・フォールらと交友をもつ。夭折の晩年、ジロドゥーの依頼によって「ル・マタン」紙に書いたコントが、本書と『朝のコント』として死後出版された。日本での人気は格別である。1909年没。

2009年11月4日水曜日

Graham Greene “The Destructors”

  This is a story of a gang of boys who destroy a 200-year-old house of Thomas’.   The leader of the gang is Blackie but one day “T” (Trevor) suggests a plan to destroy a house, which sounds much more exciting and mischievous than free ride idea of Blackie’s. “T” takes the initiative.   During the absence of Thomas, the boys began to demolish all the parts of the house: drawers, floors, windows, electric lines, dishes, beds, and staircases with saws, chisels, hammers, and screwdrivers. It takes them a lot of hard work and two days. Finally Thomas is coming back home. They put him in a loo to make some more time to demolish the house now standing only supported by the walls. In the end, a lorry tied to the walls by a rope pulls the house and crashes it down to the ground.   As the lorry driver says to Thomas, “There’s nothing personal, but you got to admit it’s funny,” this is a funny story. I couldn’t help laughing at the last scene. I felt sorry for Thomas, but the funny factor was much bigger than sympathy.   To destroy something completely gives you satisfaction. Greene knows the reader’s psychology when Thomas is coming. His development of the story resembles that of a movie director Yoji Yamada. Greene skillfully inserted the scene of Thomas’ return, arousing the reader to want “T” to successfully carry out his destruction plan. Every reader is on the side of “T” with little sympathy for Thomas. Why? Because Greene draws the reader’s mind so well to “T” that near the end of the story the reader identifies himself with Trevor himself.   Greene may have put some meaning in the story, probably the destruction of tradition to build a new system, but a superficial reading alone is amusing.   Graham Greene’s English is not so complicated. He uses rather easy words and grammatical structures so that I read the story with less difficulty compared to reading other stories.   I would like to read “Twenty-One Stories” by Graham Greene. Henry Graham Greene OM, CH (2 October 1904 – 3 April 1991) was an English author, playwright and literary critic. His works explore the ambivalent moral and political issues of the modern world. Greene was notable for his ability to combine serious literary acclaim with widespread popularity. (Wikipedia)

2009年11月2日月曜日

Sam Shepard "Land of the Living" NEW YORKER

  There is little plot worthy of mentioning. My first impression was: why? Is this a short story?   The narrator (protagonist) goes to a Mexican resort, Cancun, with his family: wife, daughter Emma, and son. During the trip his wife accuses him for his “girl friend” by telling him that she heard her voice on his cell phone. The quarrel does not develop but dies down to a “decent” relationship between the two. He sees an old couple, first at the airport customs, next in the hotel, and thirdly happens to take the seat in front of them in the return plane, where the old man suffers a stroke and dies. This is the end of the story. There is no surprise ending nor moving scene. I was disappointed at the nonevent-style ending.   On second thought, however, as Mr. Christopher Morone pointed out, this is superficially a story of a husband and his wife, but under the disguise lies a true story of the husband and his mistress. He gets fed up with his mistress and goes on a vacation to avoid her, but when he returns from the vacation, his cell phone starts ringing in the middle of the bed “right where I’d left it.” He goes on a vacation but returns to just where he leaves, only arousing suspicion on the part of his wife.   Another finding is that the story consists of a long, but natural conversation between the husband and his wife, and him and Emma. This is because Sam Shepard is a playwright.   It would be interesting to write a story which hides another story behind it and reveals itself in the end. Sam Shepard (born November 5, 1943) is an American playwright, actor, and television and film director. He is author of several books of short stories, essays, and memoirs, and received the Pulitzer Prize for Drama in 1979 for his play, Buried Child. (Wikipedia)

2009年10月28日水曜日

太宰治 「新ハムレット」

1.「新ハムレット」は、面白くない。「ハムレット」の荒筋が頭にあるため、読んでいても純粋に荒筋を追っていけない。亡霊はいつ出るのかとか、暗殺を暴く場面があるのか、毒をぬった剣での決闘があるのか、などが頭に常に閃いて、スムーズに読むのを妨げる。  シェクスピアは亡霊のうわさを、読者を引き付ける道具としてうまく使っているが、「新ハムレット」にはそういう道具がない。相当話が進んだところで亡霊の話が出てくる。タイミングが遅く、だらけてしまう。  ハムレットが、王の言葉「俺は兄を殺していない。病死だ」と言うのを聞いて、自殺するのは不自然。また、母が死ぬのも不自然。プロットに盛り上がりが無い。  急展開な結末で、読者の期待の高ぶりも何もないうちに話が終わってしまう。感動も何もあったものではない。 王とポロニアスが仕組んだ朗読劇は面白い発想だが、話の持って行き方が唐突過ぎる。3人(ポロ、ホレーショ、ハムレット)が朗読劇をやること自体が馬鹿げている。演劇芸人にやらせる方が読者は納得する。 2.日本の典型的な私小説のように、太宰はだらだらと自分の心の内をハムレットと言う器を使ってベラベラ並びたてて、原稿料を稼いでいるのか、と思うぐらい、じれったい文が面々と、またくどくどと続く。だいたい一人が話す長さが長すぎて、本当の会話らしくない。何度読むのをやめようと思ったことか。特にハムレットが、留学に際して王が諸注意をするが、日本人の父親が東京の学校で勉強することになった息子にくどくど注意するのとまったく同じ会話が登場するが、そもそも話の舞台はデンマークだ。留学に際しての諸注意も文化的に違うはず。日本の国内で起こっている話を読んでいるみたいだ。 3. 太宰は、「カチカチ山」にしろ、「女の決闘」にしろ、二番煎じだ。原典の話が亡霊のようにつきまとうから、読者は白紙の状態で読めない。これが最大の欠点となる。太宰は自分からプロットを創作することができなくて、他人の話をパクリ、自分の内面の感情をそこで吐き出している。「走れメロス」もギリシャ神話のパクリだ。「女生徒」は有明淑子の日記の文章を並び替えただけ。

2009年10月12日月曜日

葛西善蔵 「哀しき父」

 生きる哀しさを綿々とつづった私小説。プロットで読者を引き付けるというより、むしろ「哀しき」生活ぶりで読者を共感させる。クライマックスは、「彼は軽く咳入った、フラフラとなった、しまった!斯う思った時には、もうそれが彼の咽喉まで押し寄せていたーー。」 暗い陰鬱な重苦しい「孤独な詩人」を売り物にしている。 暗さを表す表現: 哀しき父ーー彼は斯う自分を呼んでいる 云ひようのない陰鬱な溜息 彼は都会から、生活から、朋友から、あらゆる色彩、あらゆる音楽、その種の凡てから執拗に自己を封じて、ぢっと自分の小さな世界に黙想しているやうな冷たい暗い詩人なのであった。 堪え難い気分の腐蝕と不安 暗い瞑想に耽ってぐづぐづと日を送って 毎晩いやな重苦しい夢になやまされた 暗い場末の下宿 大きな黴菌のように彼の心に喰いいろうとし 冷たい悲哀を彼の疲れた胸に吹き込む 擬態語(mimetic words)、擬音語(onomatopoeita):  街の文章講座では、避けるように指導されている言葉がふんだんに使われている もやもやと靄のような雲 /日光がチカチカ桜の青葉に降りそそいで / じめじめした小さな家 /ガタガタと乱暴な音/チョコチョコと駈け歩く/日のカンカン照った/梅雨前のじめじめした/ブツブツと女中に何か云って/コソコソト一晩中何か語り/ガタガタとポンプで汲み揚げられる/ムクムクと堅く肥え太って/ゴロゴロ寝ころんで/ペラペラな黒紋付/うとうとと重苦しい眠り/部屋の中はむしむししていた/ビショビショの寝衣/氷嚢はカラカラになって/金魚がガラスの鉢にしなしな泳いでいる (実際は長い「く」の字で、繰り返されている) 発見1 三島由紀夫は擬態語擬音語を嫌ったらしい 発見2 永井荷風は葛西のような庶民ぽい俗な文を書かず、もっと完璧なきっちりした文を書いたらしい。 葛西善蔵 1887~1928。生家は広く商売をしていたが、善蔵が2歳のときに没落。

2009年10月6日火曜日

Jonathan Franzen "Good Neighbors" THE NEW YORKER

  This is a shocking story. It depicts a destruction of a happy family of Water and Patty Berglund, who buy a house on Barrier Street when they are newly married. Patty was an energetic friendly housewife. Walter was a lawyer. He has weak character and niceness is his asset.There are three causes for the destruction, which of course are closely connected with each other. They are: 1)Joey, their son; 2) Carol, their neighbor; and 3) Walter.   Joey’s stubbornness and rebellion against his father (He calls his father “Son.”) is unbelievable for a Japanese reader like me. Because of the severe fight between Patty and Joey, Joey lives with the Monghams. Another cause, Carol Mongham, has a lot of nerve to have Patty babysit her daughter, Carol. Later, Carol’s boyfriend, Blake begins to live with the Morghams and cuts down trees, the noise of which makes Patty so mad that she is not accepted in the neighborhood. A third responsibility falls on Walter, who upsets so easily and does not set foot in the minefield. It’s a pity that none of the destruction causes could have been avoided. Patty seems to be   Since Walter devotes himself to his work, his sister Jessie leaves home to enter university in the East, and Patty avoids living on Barrier Street, the house began to corrupt and finally is sold to a black family.   Jonathen Franzen describes the process of the destruction inserting one incident after another skillfully before the reader realizes the destruction.   I hate the Paulsens, who are always detached from the turmoil and take a cynical attitude toward it. They are irresponsible by-standers who, without getting involved in the trouble, enjoy watching a family fall apart. Waht "Good Neighbors" they are!   I understand the neighbors’ “overwhelming sense of relief and gratitude at how normal their own children are.”   I feel sorry for Patty for having to leave the house and live in the Nameless Lake cottage after all years’ hard work and devotion to the neighborhood.        such a cheerful Patty           lost everything              lives lonely in the Nameless Lake cottage Finding 1 the description of each character is excellent especially when it comes to the language they use. The Paulsens use educated and sophisticated vocabulary, while Carol use easy words with lots of "and," which symbolizes her poor logical way of thinking. By clearly distinguishing the language level, the authour succeeds in visualizing the characters.

2009年10月5日月曜日

夏目漱石 「心」 永日小品

 話の前半、小鳥が私にひかれるようにして近づき、私の掌にのる。私は、小鳥がどんな心持で私を見ているのだろうと思った。後半では、不思議な力に引き寄せられて、私はある女の後を「どこまでもついて行った。  小鳥の心と、私の心をうまくダブらせたところが面白い。情景が事細かく描写されている。  「鳥は柔らかな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸の凡てを挙げて、その運命を自分に託するものの如く、向こうからわが手の中に、安らかに飛び移った。」 (2009・10・3)

佐江衆一 「峠の剣」

 主人公は武兵衛。孫の小太郎が、父の敵(武兵衛の子)である左近の下腹を突いて首尾よく仇を倒す話。  話ができすぎ、六歳の小太郎が単に刀を仇の下腹めがけて「吸いこまれるように」突き出すだけで、敵を打てるものか。  伏線として、突き出す技をどのように修得したかを読者に十分理解させておく必要がある。その点、ある武芸小説に、侍が、天井からつるした紐の先端の五円玉ぐらいの輪を剣先一突きで突く練習を何度も何度もやり、完璧に突き通せるようになった。侍は、真剣勝負でただこの突き技だけで敵に勝つという話があった。これなら読者は納得する。(2009・10・5)

佐江衆一 「動かぬが勝ち」

 油問屋の幸兵衛は、50で隠居して、香取神道流剣術を習う。腕をあげていき、60歳の還暦に富岡八幡宮奉納試合があり、初めて他流試合に臨む。その時は勝ちを急いで負ける。61歳のとき再度試合をするが、相手が女剣士で、小太刀の使い手。しかし、またもや心の動揺があり、負ける。  62歳になり、師範の三左衛門から、相手のいかなる技にも動じない、動かない剣を習得する。試合では、相手が先に動き、幸兵衛が勝つ。  「後の先」「隙」「間合い」「手の打」「青眼(正眼)の構え」など剣の技に関する用語が出てくるが、古武道杖道をやってきているおかげで、剣の動きの描写がよくわかった。  話の展開のテンポ、作り方がうまい。情景、文章、心理描写もうまい。 (2009・10・3)

Leo Tolstoy “Three Questions”

  The king in the story quests for the answer to three questions: 1. What was the right time for every action? 2. Who are the most necessary people? 3. What is the most important thing to do?   Though he asks the questions of many “wise” men, their opinions varies. Finally the king asks a hermit. He says, “Now is the most important time. The most necessary person is he with whom you are, and the most important affair is to do him good.” The story is a parable and teaches how to live a good life. **************************** Mother Theresa said, “People are often unreasonable, illogical, and self-centered; forgive them anyway. If you are kind, people may accuse you. Of selfish, ulterior motives; be kind anyway. If you are successful, you will win some false friends and some true enemies; succeed anyway. If you are honest and frank; people may cheat you; be honest and frank anyway. What you spend years building, someone could destroy overnight; build anyway. The good you do today, people will often forget tomorrow; do good anyway. Give the world the best you have, and it may never be enough; give the world the best you’ve got anyway. You see, in the final analysis it is between you and God. It was never between you and them anyway. (Father Reimer gave me the passage in Nanzan Community College) (September 26, 2009)

Alice Walker “Nineteen Fifty Five”

  This is a story about Grace Mae Still, a black song writer, and Traynor, a singer. When he was 16, Traynor visits her and buys all her songs and sings them. Even if he does not know the true meaning of the songs, he sings so well that he becomes a world famous singer. He presents a Caddilac, a house and many other expensive things to Grace, but she does not need them. Traynor pursues material happiness. In the end , the singer dies. “Some said fat, some said heart, some said alcohol, some said drugs.”   Alice Walker uses Elvis Presley’s life in the background of the story. Apparently Traynor is Presley. While I was reading the story, Elvis’s image interrupted my reading. Using a character who resembles a real person in a story can be a double-edged sword.

Ben Hecht “The Rival Dummy”

  This is a scary story depicting jealousy. The narrator, Joe Ferris, talks about Gabbo, once a famous ventriloquist, and his dummy called Jimmy. Gabbo in the end destroys Jimmy, quarrelling over a stage assistant named Rubina. The final page sees Gabbo, repenting of having “killed” his beloved partner Jimmy.   The plot is so catching that you can’t stop reading. The dialogue between the two is excellent, too. The anger both possess against each other is well described in the dialogues. The relation between a mere dummy and Gabbo is depicted as if it were between a real human being and Gabbo. Since Jimmy is a part of Gabbo, he fights against himself. It is persuasive that Jimmy loves Rubina as much as Gabbo, because Jimmy and Gabbo are the same person.   Ben Hecht’s making of the story is successful. He describes the mere doll as if it were a living human being who has as much evil as a human being. (September 27, 2009)

John Collier "Green Thought"

  I enjoyed "Green Thought" very much. It is a horror and humorous story. Isn't it humorous that you will see a cat's head instead of a flower? Mr. Mannering and his cousin Jane and the mouse also become the victims of this strange queer plant.      I was wondering how the story will end, but lo! Mr. Mannering's nephew is going to cut Mr. Mannering because of his anger! A surprisingly cruel but somehow humorous story.   I have a question:what was Cousin Jane practicing? What does this passage mean? "[Cousin Jane] was given to the practice of the very latest ideas on the dual culture of the soul and body--Swedish, German, neo-Greek, and all that." Since Mr. Mannering did not see her clothes on the floor of the hothouse, she was naked. Therefore, the "the ideas on the dual culture" is a naturalist (nudist) idea? (September 13, 2009)

大坪砂男 「外套」

 これといったテーマははっきりしない。 掻払いサブを通してみた寺沢の哀れな人生と、これとは対照的にあくどい古着屋と赤ら顔の男を描いたのか。   17,8の気が狂った口のきけない純真な女に惚れこんだ寺沢が少女を大事にし、脳病院で看病するが、病気で死なれ、自分も慣れない酒を飲み、「合羽川岸に水死体」になるかもしれないという話。   寺沢の不器用さ加減、悟りが悪い、人が良い、朴念仁が寺沢の身を滅ぼすよう。 戦争末期13歳だったサブが5年たったから今は、18歳。戦争末期、戦後の混乱期にはこういう掻払い、古着屋、蓄えのある防空壕などがあったのかもしれない。   あまりインパクトがない小説。ピンボケ。 主役が主役ではなく、実は、脇役が主役ということか。 大坪は戦後、寺沢のような人がいたことをどこかで聞いて、それを題材にしたのかも 発見1.  情景描写が優れている:出だし。「合羽川岸に雪雨が降るーー 灰色の空間から無限に降りそそぐ白い雨の線と、それを音もなく吸いこんでいく鉛色の川面とが、奇妙にうすら明るい午後だった。「煙にくすんだ(漢字)灰色の空に光のない太陽の昇るのを見てから、」「藍色に沈んでいく黄昏の中に立って」 発見2  古着屋のおっさんと、赤ら顔の男は同一人物だ。背が低くへへっと笑う。娘の過去と市役所のと、サブを知っている。 発見3  プロットの面白さより、描写のうまさで持っているかも   大坪砂男(おおつぼ すなお 1904年2月1日 - 1965年1月12日)は日本の探偵小説作家。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来。1951年に大坪沙男と改名[1]。2009/8/23 (日)

久生十蘭 「春雪」

 話の作り方がうまい。何かなぞ解き(晴、曇後晴)をするような小説。   池田は、柚子が「人生という盃からほんの上澄みを飲んだだけでつまらなくあの世に行ってしまった」と思っていたが、伊沢から柚子の真実を知らされて、「人生という盃から、柚子が滓も淀みも、みんな飲みほし、幸福な感情に包まれて死んだ」ということが分かる。   話の構成と展開の仕方がうまい。まず柚子の春の雪のような清くはかなく消える姿を読者に印象つけておいて、ページをめくるごとに実は、そうではなく、全く逆であったという展開にする。読んでいて無理なく、なるぼど、ありそうなことだと発見的再認(アリストテレス)をさせながら、逆転に持っていく筆力がある。 終わり方もよい。「柚子が生きていたらどんなにかよろこんで握るはずの手だった。」   ただ、よく考えると、話ができすぎかな、というところ。

久坂葉子 「猫」

 好きな男が自分を去って、別の女と結婚する悔しさが「猫」という小道具をうまく使って描かれている。  愛しさ余って憎さ百倍という言葉があるが、師主人公は、Tを愛しているがゆえに、憎さが生じ、Tを殺せないから、せめてTの代理である猫を殺そうとする。殺せなくて、桐の幹にTと彫り、桐を抱き、Tという文字を愛しくなぞる。女の情愛が桐の木のあたりからうまく描かれている。   しかし、猫を殺す場面も桐に抱きついて涙を流す場面もなんだか嘘くさい。作り話くさい。ジャックナイフもなんだか現実味があるようで、現実味がない。 Tを殺せない、意気地なさは、感ずることができる。 文で気になること 1.難しい漢字、例えば、彷彿、屹度などを使っているのに、「言う」は「いう」、「つっ走る」は「つっぱしる」などひらがながたようされていて、困惑する。 2.自分の思いを(  )に入れるのはいい。 3.205ページのーーそれは残虐な企みを意味しているーーは英語の翻訳調でいただけない。 4.猫を殺す場面の「その形相のものすごさ」は、よく小説で、Don't tell but showとあるが、これに反する。2009/8/9 (日)

太宰治 「黄金風景」

 タイトルが大げさだが、面白い。最後の家族の風景は、太宰にとっては「黄金」に思えたのだろう。   いじめた女中が、自分のことを少しも悪く思っていないところが心憎い。また、少年時代にお慶をいじめた、いじめ方の描写がうまい。太宰の書いた「新樹の言葉」に構成、内容が似ている。太宰はよほど落ち込んでいたのかとうかがわせる。作品の中で、自分を叱咤激励しているのだ。 「新樹の言葉」の郵便屋は「黄金風景」ではお巡りさんだ。また、幸吉の幸せは、お慶夫妻の幸せだ。さらに両方とも明日に向かって生きようという姿勢で終わっている。「新樹の言葉」では、「こっそり力こぶをいれていた」であり、「黄金風景」では、「また私のあすの出発にも、光を与える」となっている。2009/8/1(土)

太宰治「女の決闘」 (オイレンベルグ 森鴎外訳「女の決闘」)

 太宰治の「女の決闘」を読んだ。これは、オイデンベルグが書いた「女の決闘」を太宰風に書き直したものだ。 はっきり言って、太宰バージョンには失望した。全然面白くない。原作の「女の決闘」の読後印象を台無しにしてしまうものだ。いい作品を読んだ後にその映画版を見て失望するようなものだ。   だいたい、太宰版「女の決闘」には太宰の思い入れが入りすぎている。両者が決闘することになった男(芸術家)は、太宰そのもので、その心境は太宰の心境だ。太宰の心の葛藤をこれでもか、これでもかと押しつけがましく読者に押し付けている。太宰自身のオリジナルの作品を創造しないで、人の書いたものをぱくって自分の心のはけ口としている。 読者はえらい迷惑だ。オイデンベルグに対する冒涜だ。とにかく読後感の後味が悪い。2009/7/31(金)

2009年10月4日日曜日

森鴎外 「雁」

 「雁」は、次のような不満があり、小説として楽しめなかった。皆さまのご感想をお聞かせくだされば幸甚です。
1. お玉と末造の間柄を詳しく書いておいて、急に末造をカットしてしまった。  
2. お玉と岡田が接近する有様を、蛇事件を交えながら詳しく書いておいて、急に岡田を洋行させてしまった。
3. 雁が死んで僕と岡田が池を一周する時に、岡田は僕に対して「僕は君に話すことがあるのだった」と言う。当然、読者は岡田がお玉のことについて話すだろうと予想するのに、予想を裏切って洋行の話が突然出てくる。小説の話の展開としては不自然。
4. お玉と末造と岡田の三角関係がどうなるだろうと読者に気を持たせておいて、急に話を洋行という設定で終わらせてしまう。強引に話を終わらせている。
5. 鴎外は今まで書いてきた「雁」の話を読み返して視点のズレがあるのに気が付き、急遽ズレを弁護するため「鏡の左右を合わせた」というような屁理屈を最後に付け加えて何とか矛盾を切り抜けようとした。しかし、末造、お常、お梅の心情、末造とお常のやり取り、お常と女中の会話はどのようにして分かり得たのか疑問。 文学者の中には「僕」は「僕」を超えた役割を与えられている語り手だとか、ズレ・間隙こそが真に生産的だ、というような分かりにくい考え方をする人がいる。これでは一般の読者が抱くズレの疑問は解決されない。
6. 鴎外は「僕」の視点で書いていくうちに全知視点になってしまい、それに気が付き、今更全部書き直すのは惜しい気がして、最後に視点のズレを無理に修正した。だから、恥の上塗りというか、ズレを弁護して、その弁護をさらに「無用の憶測をせぬがよい」などと言ってダメ押し弁護をせざるを得なかった。
7. 鴎外は「雁」の小説を尻切れトンボで終わらせなくてはならない時間的、精神的理由があったのではないか。小説が読者を楽しませるものならば、鴎外ほどの小説家なら全部初めから書き直してもいいはずなのに、なぜこのような不満が残る「小説」を書いたのか。小説はその内容そのものが勝負であり、読者に感動や楽しみを与えるべきものなのに、「雁」は感動、楽しみどころか小説の不備、不具合で読者に内容以外の周辺的な事柄で余分な神経を使わせている。罪な小説だ。
8. 鴎外は以上のような読者の不満を知り尽くしていて、なお、わざとあのような「小説」を世に出したのだろうか。もしそうなら、その狙いは何か。「雁」のズレ的小説手法について文学者が喧々諤々、論文を発表しているが、鴎外はそれを狙ったのだろうか。そうなら成功しているが、小説としては失敗ではないのか。
9. 「小説」は一流の作家になれば、視点のズレ等を含めて、何をどのように書いても自由なのか。それが許されるのか。 みなさん、ご意見を下さい。2009/7/19(日)