警察物を初めて読んだ。松本清張賞受賞作だけあり、読者をどんどん事件に引き込んでいく。最後のクライマックスも納得のいく出来。ネタバレ(白髪の運転手が尾坂部のお抱え運転手と言うのは出来すぎではあるが)
尾坂部が何故現職を降りないのかの真相をめぐって、ニ渡があれこれ手を尽くすのだがどれも功を奏しない。
最後に尾坂部の娘のレイプ事件に行き着き、犯人を追い詰めるという仕掛けはうまくできている。
尾坂部の人間味も巧く出ている。
一気に読み終えた。
2009年10月から私が読んだ本の中の主だったものの読書感想文です。ご意見ご感想をください。
警察物を初めて読んだ。松本清張賞受賞作だけあり、読者をどんどん事件に引き込んでいく。最後のクライマックスも納得のいく出来。ネタバレ(白髪の運転手が尾坂部のお抱え運転手と言うのは出来すぎではあるが)
尾坂部が何故現職を降りないのかの真相をめぐって、ニ渡があれこれ手を尽くすのだがどれも功を奏しない。
最後に尾坂部の娘のレイプ事件に行き着き、犯人を追い詰めるという仕掛けはうまくできている。
尾坂部の人間味も巧く出ている。
一気に読み終えた。
姉の猗房(いぼう)が皇后となり、幼い時に生き別れた弟の公国が30年後に再会する物語。著者は史記の「外戚世家」から題材を得たと言っている。
最初の章の最後の章は小説文体で詳細に描かれていて目に見えるようである。文体も読みやすい。特に姉と弟が再開する場面はほろりとする。
その他の章は歴史的事実が羅列してあり、歴史上の人物や国がいっぱいでできて、歴史書を呼んでいるようであった。
猗房と公国が歴史の波に翻弄され、占い通りに姉は皇后になり、弟も姉と再会しいち武侯となる。
司馬遷の原文「侍御左右、皆、地に伏して泣き、皇后の悲哀を助く」とある。原文と宮城谷版を比較してみたい。
松本清張賞受賞作ということで読んだが、読む価値がない。
何故、受賞したのかわからない。大沢在昌氏が絶賛しているが、こんな安っぽい駄作を褒めるとは、大沢氏も大したことない。ハラハラドキドキ、謎解きや、エンタメ要素が皆無。人間を描いていない。だらだらと同じような場面が繰り返される。長編を書く参考にと思ったが、反面教師として役立ったか。最低の駄作。
評価としては5段階の1.時間の無駄。何度も読むのを止めようと思ったが、後半の盛り上がりとかクライマックスが何もない。お勧めできない。
今後は受賞というまじないに引っかからないようにして、4分の一読んで面白くなかったら、本を閉じるべし。
ヤクザおお対ヤクザの争い物。株の取り引きの専門的な用語がいっぱい出てきて、途中で分からなくなる。話の筋を追っていくだけで精いっぱい。いや、実際、話の筋がよくわからない。登場人物が30人ぐらいあり、紙に書き付けたが、いくつかのヤクザの組織が互いに争い、組長、若頭、子分などが、複雑にかあみあい、話が複雑で分かりにくい。加治と言う男が大物で、最後に加治が登場してくるかと思ったら、死んでしまっていた。読者は落胆するだろう。
無理に読み終えたが、筋がつかめず面白くなかった。人間関係が分からない。最後は10億円をダイヤ二個に変えて男の一物のなかに入れ込んで死ぬ話だが、なぜこうも複雑に話を展開しているのかわからない。主人公の女性笙子もわかりにくい女、結局は女の嫉妬が巻き起こした捕り物か。
ドンパチや、派手な出入りがあるハードボイルドだが面白くない。
轢死した老人は事故死か、それとも重病の孫娘を助けるために自殺したのか。自殺ならば保険会社は保険金として3000万円を払わなくても良い。
「ネタバレ」定年間近の保険調査員、村越努の地道な調査により、「一応の推定」で自殺と判定されかかるが、最後の数ページでそれを覆す人形の入った箱の損傷から、老人が脳に損傷を受けていたことを突き止める。
広川純の文章がいい。必ず登場人物の人となりを2行ぐらいで説明する。場所(応接室、居酒屋、喫茶店、ラーメン屋、雑居ビル)の描写が念入りで、リアリティがある。竹内主査との会話で、読者は事件の中身を整理できる。
後半4分の一ぐらいから、結末がどうなるか気になって(太った男に会い、真相がわかる結末と思っていたら、死んでいたというところで、大いに驚かされた、このトリックは絶妙。では、どうなるかと思っていると、自転車にぶつかって子頭部を打っていたという結末に持っていく手腕は見事。
松本清張賞作品の中で特にいい作品。
著者が言うように、この小説は「菅浦文書」中の「菅浦惣庄合戦注記」を下敷きにした物語であるが、歴史的資料を基にこのように創作力を駆使して読者をぐいぐい引っ張っていく手腕は大したものだ。
登場人物の源太は、成人して源左衛門という極悪代官となり、それを打ち取る若衆の指揮を執る右近は、実は源左衛門の父であるという設定はうまくできている。特に最後のところで、月の浦と高浦の若衆が源左衛門を打ち取るくだりは、ドキドキハラハラで、源左衛門は不死身に見えたがついには矢を射ぬかれる。剣劇の描写が具体的で、単に「白兵戦になった」でなく、どう刀が、どう弓矢が、どうチャンバラがなされたが詳しく描かれていて剣劇を見ているような語り口だ。
公事(裁判)に至るまでの過程、裁定が出るまでの過程、比叡山和尚や管領を巻き込んで公事の背景をよく調べてある。
章が変わるごとに情景描写を入れて読者を休憩させ、屋敷の造り、登場人物の着物(大紋と小袖とか袴)、当時の家屋や屋敷の構造(冠門とか板葺きの白壁とか)をよく調べて描いている。
松本清張賞を受賞するわけだ。
This
is a difficult story because there are a lot of sentences which have deep psychological
meaning.
The
protagonist, Harris, picks up two hitch-hikers. While he is away from his car,
one of them, a guitar player, is killed by the other named Sobby. Sobby says, “It’s
his [guitarist] notion to run off with the car.”
Both
men are lonely; the guitarist is talkative and the other is silent, who confesses,
“He was uppity, though. He bragged. He carried a guitar around.”
That
seems to be the reason he kills him.
Harris
identifies himself with them; he was also alienated with the town’s people. He
does not belong to their community. He has no particular destination to go to.
This
is not a moving story, but a kind of sad one. It depicts loneliness of a man.
奇想天外な話を上下二巻の物語にした。発想の奇抜さに脱帽。
しかし、内容がお粗末で、全編、著者の頭の中で想像したことをそのまま書き付けたような文章と展開で、嘘話の羅列で、リアリティーがない。
ローマ法王との謁見もあっけなく終わる。著者は読者を感動させようとしてか、登場人物が涙を流す場面を多用している。全然感動しないのに、白けてしまう。航海中も過去を振り返るエピソードが多く、何度も繰り返されるから飽きる。登場人物がよく病気になる。神父、派遣される少年、はたまた、主人公の俵屋宗達も病気になる。そうでもしなければ、話が続かないないのか。
渡航先での行事も空想の域を出ないで、教会とか晩餐会とか舞踏会とか貴族とかの謁見とか、ありきたりのことが書かれ、宗達が信者でないことのひがみとか、ラテン語やイタリア語の勉強とかが書かれ、その現地の色合いが出ていない。読者を引っ張っていく力がない。
宣伝帯に書いてある「俵屋宗達VSカラヴァッジョ」の対面も喧嘩から始まり、カラバッジョの生い立ちが作り話で語られ「最後の晩餐」の絵の前で会うとかがあり、ありきたりのエピソードで、特に、絵師X絵師の感動的出会いではない。読者を馬鹿にしている。
話の根幹に無理があるため、無理やりこじつけて書いたように思える。とにかく水増しして、水で薄めたような話だ。
上下二巻の長編で、時間をかけて読んだが、裏切られたようで、つまらなかった。
登場人物が30人以上で、話が展開していく。主人公は松浦将監(小弥太)と日下部源五。二人の少年時代から老いるまでの友情を克明に描いている。
テーマが分かりにくい。将監は元家老の九鬼夕斎を、父と母の仇として討ち取る話だと思ったが、仇討ちを果たした後も話が延々んと続く。
将監と源五の心の内が丁寧に描かれている。どちらかの視点に絞らず、二本立てで突き進む。こういう手法もあるのか。
剣劇の場面が豊富にあるが、神道流剣術を30年ほどやっている私としては、分りにくい描写があった。
もう一度読む気はしないが、もし読むなら人物相関図をきちんと書いて読まないと、誰が誰だかか分かりにくくなる。
情景描写の筆使いはいまいち。
エピソードが入り組み過ぎで話が分かりにくい。これぐらいややこしい話を書かなくては、松本清張賞は取れないのか?
宗鑑(実は、井伊直弼)と言う風流人が登場し、朝顔の栽培に没頭する主人公・興三郎と朝顔談議で懇意になる。
里恵や村上やら鈴やなどを登場させ、水戸藩と彦根藩、安政の大獄の時代背景を巧みに取り込んで物語を展開する技は見上げたものだ。里恵や村上が死ぬ辺りから、話はどんどん進展していき、クライマックスに向かって突き進む。最後は直弼の暗殺、その後、興三郎の黄色の大輪の朝顔が咲く。これぞ松本清張賞受賞作品だ。
著者・梶よう子はどのようにしてここまで巧く書けるようになったのか。
情景描写、人物の動き、表情など描写も見事で学ぶところが多い。
This is an Italian story. It is a pure entertainment story. It develops quickly to the end with a lot of fun. The funniest scenes are when the son and his Master change into various things, such as wind, a pigeon, horse, an old man, a conger, an eel, a dove, a falcon, a ring, a cock, a doctor, and a fox. The phrases such as “Conger I am, and a ring will I become,” or “Doctor I am, and a cock will I become” are spells and are used effectively and swiftly enough for the reader to enjoy the changes.
In
the end the son (the fox) eats the cock (Master). And the princess and the son
marry. Happy end.
文章がこなれており巧い。会話や情景描写がいい。また、幕末の目まぐるしい世情をうまく背景に取り入れている。魅力ある女を出しつつ、仇の情報を小出しにしていく手腕もいい。ただ、途中で、読むのに飽きてくることがある。同じパターンの繰り返し(記事を書く、ばらまく、追いかけられる、うまく逃げる、記事を書く……)がある。
この小説は彦馬が死んで「ええじゃないか」運動で終わりになるが、エンディングの盛り上がりに欠ける。感動もない。なぜか。それは、文太郎が仇の里村を捕らえるが放免するという場面がすでにあり、話の決着がついてしまっているからだ。読者は、冒頭で文太郎の父親がむごたらしい殺され方をして、その仇を討つという釣りに牽引されてきたが、その釣り糸がここで切れてしまう。残りの部分は単にお涙頂戴の付け足しに過ぎなくなる。
松本清張文学賞受賞作だけある。最後の50ページぐらいは、それまでの250ページの集大成としてすべての秘密が解き明かされるように仕掛けてある。珠が何もわからぬ女に描かれているのも意図があってのことだ。
始め150ページぐらいは何永んだか分らぬままただ筋を追って読んでいたが、後半になってうまくまとまっていく。
最後で分かる信長の策略、4人の天正遣欧少年の絆、バテレン禁止令と殉教と棄教などがかなりうまく書けている。
しかし、信長が毒を盛ったとか、千々石ミゲルがローマから、不具者ゆえに司教にさせないという話は作り話だと見え見え、加藤清正が知恵を授けるがその裏の心が描かれていない。伊奈姫がまるで欠点がないような観音様のようで、人間らしくない。天草四郎がミゲルと伊奈姫の子であるというのはでっち上げで、これも余分。
涙を流すという表現が多すぎる。
作り話だなあと言うあと味があり、リアリティがない。
あまり面白くない。なぜならば、父北斎を亡くして、父の名を借りずに独り立ちしていくお栄の心情を描いていない。「吉原格子先の之図」も真ん中に黒く影になっている花魁のことについては一言も触れていない。「富士越龍図」も龍を描いた意義について触れていない。「夜桜美人図」も善次郎の返事の図でごまかしている。「三曲合奏図」もどのように三人の女を描くかについて、あれこれ考えるように描いているが、所詮結果の図があるので、それに注釈をつけただけのこと。また「小布施の岩松院の鳳凰の天井画」もあの年でどのように描いたかが描写していない。もっと、お栄が父親を亡くしてどう親父の後を引き継ぎ、世間に認められるようになったかが描いてない。善次郎との恋仲がどうの、セックスがどうの、北斎の孫の時太郎がどうしようもない男で、それがどうのというページが多すぎる。広重や滝沢馬琴についての描写が少ない。馬琴に至っては、単に柚子の薬を持ってきただけのことが書いてあるだけ。
This book, with 497 pages, reveals how
Stanley Kubrick made the novel 2001: A Space Odyssey written by Arthur
Clark into a movie. It delineates how they made the first scene "Dawn of
Man," the device to present the colorful flashing scenes when the man
enters another space world, and the first severe criticisms given by
professional critics, but the following tremendous good reputation by the
general public.
Together
with the 2001 movie, several famous movies such as Planet of Apes
are introduced. Douglas Trumbull, the visual effects supervisor of Close
Encounters of the Third Kind helped Stanley to make the film. The selection
of background music such as Johann Strauss’s On the Beautiful Blue Danube and
Also sprach Zarathustra composed by Richard Strauss is described in the
book..
Kubrick also
had a hard time selecting the man who had the most suitable voice for HAL.
I now know how difficult it is to make an SF movie. I saw 2001: A Space Odyssey more than three times. After reading this book it would be worthwhile to see the film once again.
沖縄に派遣された精神科医エドワード・ウイルソンと沖縄のニシムイという村に住む沖縄人の画家集団との心温まる親交の物語。後半まで平凡な話が淡々と続くが、後半から、特に、元飲んだくれのヒガがメグミを助けるため米軍将校に暴力的にメチルアルコールを飲まされて失明寸前の重症になるところから、急展開し、一気に最後まで読んだ。
多くの思い出を胸に抱いて、エドは沖縄を離れ貨物船で米国に帰ることになるが、甲板から沖縄の島を見ると、ぴかぴか光るものが舟に向かって照射されている。エドはニシムイの画家に鏡を送ったことを思い出す。最後の場面はほろりとさせられた。
最後の見せ場を見せるためにそれまでの淡々とした下地がうまく機能している。
実在人物にインタヴューして書き上げた。
本の表紙と裏表紙に肖像画があるが、表はエドの肖像画で、裏はタイラの自画像らしい。しかし、この絵は邪魔だ。読者を惑わせる。misleading!
どうせ、肖像画を載せるのなら、一番激しい登場人物、ヒガが書いた肖像画を載せるべきだ。私は、裏表紙はヒガが描いた自画像とばっかり思って読んでいたが、そうではなかった。読者の先入観を操作してはいけない。